虐待死と疑似テロリズム

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2018/6/29
虐待死と疑似テロリズム
久本福子


月曜日、18日の国会中継を聞いていたところ、複数議員から子供の虐待死問題が取り上げられていました。目黒区で発生した5歳女児の虐待死事件を受けたものでしたが、児童相談所の体制強化など、虐待の早期発見により、虐待や虐待死を防ごうという現実的な対応策が提言されていました。しかし、近年になってなぜ突如として、子供の虐待死が頻々と起こるようになったのか、この根本的な問題にまでは誰も立ち入ろうとはしていません。というよりも政治家は誰も、子供の虐待死という、近年急激に始まった異変をそれとして認識していないようです。

政治家たちは、まるで子供の虐待死は昔からあったとでも考えているかのようですが、昔は生活苦から子供を道連れに親子心中をすることはあっても、虐待そのものを目的にした虐待や虐待死はほぼ皆無です。親が、あるいは保護者の立場にある大人が、子供に対して虐待のための虐待を加えるという惨劇の頻発は、そう昔のことではなく、ここ最近のことです。しかも特殊例外的な事件ではなく、頻発しているわけですから、虐待する親の生育歴などの個人的な事情にのみ原因を求めることはできないはずです。そして最近急激に頻発し始めた、親や親的立場にある大人が子供を虐待死させるというこの痛ましい異変は、おそらく世界中を見ても日本以外には発生していないはずです。

近年急激に頻発し始めたこの惨劇を冷静に客観視するならば、これらの異変は日本社会の構造的な変化に起因するものだとの推測は容易に成り立つはずです。幼い子供を虐待する、義理の親や未入籍の親も含めた親の年齢は20代から30代ぐらいです。彼らを育てた親の年齢は40代から50代ぐらいになるはずですが、この親たちは就職氷河期とも重なり、派遣などの非正規労働の割合が激増した時期に社会に出ていますし、それまで正社員として働いていた人の中からも失職し、派遣などに従事せざるをえない人々も多数生まれています。

2000年代初頭、社会的セーフティーネットも整備されぬまま規制が全面撤廃され、派遣などの非正規雇用が一気に拡大したのは、ヨーロッパなどとは異なる、日本的な棄民政策であったと見なしても間違いではないはずです。不安定な非正規雇用では結婚できないケースが大半だと思われますが、たとえ結婚して子供が生まれても、健康的な養育環境の確保などほとんど不可能でしょう。非正規労働者は職場の人間関係からも排除され、不要になればクビになる宿命を負った、単なる労働力というモノとして扱われる、ごくごく単純な意味で疎外された存在です。彼らは、人間としての最低の尊厳はもとより、生きる意欲すら持てない環境に置かれています。

加えて非正規労働者と正社員との賃金格差は非常に大きい。この賃金格差は、時給を上げれば縮められる質のものではなく、非正規労働者に課せられている宿命みたいなものだともいえます。というのは、非正規労働者の賃金は、すべからく時給で計算されます。当然のことながら、休日が入ると収入はゼロになります。年末年始や長期の休日がつづくと収入は半減しますし、ボーナスもありません。しかし時給計算は非正規労働者の絶対条件であるわけですので、労働者の全員が正社員になるという奇跡でも起こらないかぎり、非正規労働者がこの過酷な宿命から脱出することは不可能です。

安倍政権はもとより与野党ともに、時給を上げれば非正規労働者の待遇は少しは改善されるはずだと考えているようですが、時給を宿命づけられている非正規労働者にとっては、上がらないよりも上がる方がいいとはいえ、仕事のない休日は無収入となりますので、多少時給が上がってもほとんど収入増には繋がらないのが現実です。休日が書き入れ時に当たるサービス業は長期休日は入らないかもしれませんが、サービス業は総じて賃金が低いので、暦どおりに休日の入る一般企業の労働者とそう大きな違いはないはずです。

以上のような過酷な環境に置かれている非正規労働者が労働者の4割を占めるほどに激増した結果、結婚できない若者が激増しただけではなく、結婚して子供が生まれても、物心両面において、責任をもって子供を育てる親としての最低の能力や責任感はもとより、養育の意思すら持てない親が出現しても不思議ではありません。

加えて非常に不可解なのは、近年激増している親による子供の虐待死の大半は、未入籍分も含む義理の父親による犯行だということです。虐待死までには至らないものの、継子いじめは昔からありました。継子いじめは、西洋でもシンデレラ姫に象徴されるように、おそらく血縁によって家族形態や権力構造が確立した世界に見られる、ある種普遍的な家族関係の軋轢を代表するものだったと思いますが、そのほとんどは女親によるものです。動物の世界は別にして、人間の世界で男親が継子をいじめるという話やニュースは、最近一気に出現した日本にのみ固有の異変ではないかと思われます。ここにも、最近頻発する子供の虐待死の原因を解明するカギが潜んでいるはずです。

まず注目すべきは、犯行に及ぶ男親の大半が無職か派遣などの非正規労働者であり、安定した正社員のケースは極めてまれであることです。一般的に言って、家庭内における夫の力の最大の源泉は、夫の収入によって少なくとも生活の基本が支えられているということ、支えるに足る収入を彼が得ていることにあります。しかし無職はもとより、非正規の不安定な収入では、家庭内における夫の立場は不安定にならざるをえません。この不安の最も安易な解消法は、暴力によって家庭内に君臨することですが、この中に前夫の子供がいれば、全夫の影が彼の不安をさらに倍加させますので、その継子に攻撃が集中することになるであろうことは容易に想像できます。

なぜ最近、子供の虐待死が急増するに至ったのか、しかもなぜ犯行のほとんどが男親によってなされたものなのか。その理由は以上のように非常に明瞭です。セイフティネットの準備もなされぬまま、非正規労働の規制が一気に全面撤廃された結果、短期のうちに、非正規労働者の割合が労働者の4割を占めるに至ったことが、子供の虐待死の背景にあることは誰も否定はできないはずです。この非正規労働の全面撤廃も、現在の高プロ法案同様、自由な働き方の選択肢を提供するという触れ込みで導入されましたが、実に無惨な結果をもたらしています。

また、家庭は持たなかったものの、同様の環境に置かれている若者たちのケースでは、別の形での残忍な暴力事件が多発しています。彼らの境遇が全て、政策的に生み出されたものだとは言えないものの、多くの若者たちを不安定な生活環境に放り出したまま、有効な対策もなされずに放置してきた結果の産物であることは言うまでもありません。イスラム原理主義によるテロの実行犯たちを残忍なテロに走らせる背景には、貧困や差別や疎外などがあると指摘されていますが、最近日本で突如として顕在化しはじめた凶暴化、非人間化する若者たちも、その程度には違いはあるとはいえ、基本においては、イスラム原理主義のテロリストたちと似た心的状況に置かれていると言っても言い過ぎではないと思います。

日本社会に、平時においては日本史上、いかなる時代においてもあり得ぬほどの凶暴化、非人間化をもたらした最大の責任者は、若者の生活環境の不安定化は、自由主義社会の当然の姿でもあるかのような対応をしてきた、安倍政権を含む歴代政権にあることは言うまでもありませんが、それを許してきた野党にも責任はあるはずです。

日本は欧米とは異なり、政府自らが新興国や韓国や中国などの中進国との価格競争に明け暮れるという異様な政策を採った結果、若者の半分近くが文字通りの使い捨てに近い、非正規労働による低賃金化=貧困化を余儀なくされてきたわけです。しかし中国は今や、IT・AIなしにはこの世は一切成り立たないという今現在に至り、その最先端分野では日本を追い抜き、アメリカさえも追い抜こうとしています。この事実は日本のマスコミではほとんど報道されませんので、先進国の経済政策としてはありえぬ、日本政府自らが採用してきた日本人労働者の低賃金化=貧困化策が、日本社会の凶暴化、非人間化をもたらしただけではなく、日本社会と日本経済の基盤そのものの弱体化をも招いたという事実をも覆い隠してきました。

アメリカのトランプ大統領はこの中国に対して、非常に厳しい経済制裁を課し、中国経済を破壊しかねないほどの攻撃を加えていますが、トランプ流の短絡的な攻撃手法では、アメリカ自身も深い手負いの傷に苦しむはずです。こうした大テーマにも注目する必要はありますが、日本にとっての喫緊の課題は、日本では、イスラム原理主義などの宗教的洗脳なしに、むしろ非宗教的環境下で、疑似テロリズムともいうべき無差別殺傷事件が多発していることです。

その被害の規模においてはアメリカで多発する銃乱射事件や、EUや中東で多発するイスラム原理主義によるテロほどではないものの、その頻度においては、イスラム原理主義による無差別テロに勝るとも劣らない水準で、これらの残忍な凶行が発生しています。内に向けられた凶行ともいうべき親による子供の虐待死も、その背景にあるものは、無差別殺傷事件と同根に発していることは、すでに繰り返し指摘したとおりです。われわれはまず、この事実を直視する必要があるはずです。

 

 

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2001年9月末から、福岡市にあります葦書房という小さな出版社の代表を務めて参りましたが、わたしも今年(2018年)で74歳、いつ何があってもおかしくない年齢です。元気なうちに葦書房を閉鎖したいと考えておりまして、目下、フェードアウト態勢に入っております。新刊の出版はしておりませず、在庫本の販売をもっぱらとしておりますが、わたし個人としましては、書けども尽きぬ思いが山ほどありまして、元気な間はブログを発信したいと思っています。
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