3.11衝撃のデータ・下

3.11 宮城県放射能測定結果-1

 

 

 

3.11 宮城県放射能測定結果-2

 

3.11 宮城県放射能測定結果-3

 

 

 

 

 

 

 

3.11 宮城県放射能測定結果-4(*検出値を囲む黄色線が一枠分抜けています。)上記リストで、同地域の同一日時でも月間降下物とその他の降下物で検測結果には違いのあることにもご注意ください。

 

 

本日公開しました資料は、3.11の巨大地震発生前後の時期に、宮城県で観測された放射線量の記録です。日本分析センターのHPで公開されていたデータですが、資料に印字されていますように、2014年の1月と5月に印刷したものです。他の資料も含め大量に印刷しておりますが、MnやFeなどの天然由来の核種の大半は全て「検出されず」となっております。観測値が表示されているのは、原発や原子爆弾等から放出される人工核種と、Be-7という宇宙線由来の核種tと微量のKのみですが、掲載しておりますのは、観測値の出ているもののみです。なお、前号をご覧いただいていない方は、まず、前号の 3.11衝撃のデータ・上 をご覧ください。

上記観測結果をご覧いただくとお分かりのように、3月11日に発生した巨大地震の震源地に最も近い、宮城県牡鹿郡女川町と石巻では、2011年1月4日に突如としてセシウム(Cs)などの放射線が大量に検出されています。福島原発事故よりも2ヶ月も前ですが、そもそもこの地域には原発はありません。にもかかわらず、なぜ突如として大量の放射能が発生したのか。余りにも衝撃的な事実ですが、関連する資料を続いてご紹介します。

ご紹介するのは次の資料2枚、1月4日と3月1日に宮城県で観測されたデータです。上記の日本分析センターのデータと一部重複しますが、1月4日観測分のみの記録で非常に分かりやすいので、ご紹介します。2枚目は、1枚目最後の放射線観測データ「348」の次の、「349」のデータが続いていますが、メインは、3月11日に発生した巨大地震の気象庁地震速報です。

3.11 宮城県1/4放射能測定結果

3.11 宮城県1/4放射能測定結果3.11 気象庁地震速報

 

以上の資料から、2011年1月4日頃には、宮城県沖近辺には放射能を発する異常事態が発生していたことは紛れもない事実ですが、この異常について考察する前に、前号の3.11衝撃のデータ・上について考察することにします。前号では、福島原発事故に関連した福島県下の放射能汚染状況を生のデータでご覧いただきました。前号のデータだけでも、十分だと思いますが、若干資料を追加します。

追加する資料は、福島原発周辺のモニタリングデータ2枚。新たに追加するのは、3月15日から16日にかけて観測されたデータですが、前号3.11衝撃のデータ・上でご紹介済みのデータの中から、関連するデータを再度掲載し、15日以降に放射線が放出されたという、その変化をご確認いただきたい。前号公開済みの12、13日検測分に続き、15、16日検測分を掲載します。

福島第一原発周辺モニタリング結果 3/12~3/13

福島第一原発周辺モニタリング結果 3/15~3/16

 

 

 

 

前号3.11衝撃のデータ・上と今回ご紹介しました資料から、福島第一原発爆発に伴う放射能汚染は、3月15日早朝に発生した4号機爆発の後であることは、明々白々すぎる事実であることが判明しました。4号機は点検のため運転停止中、原子炉の中は空っぽでした。にもかかわらず、この4号機爆発後に大量の放射能が放出されていたわけです。電源喪失による緊急事態発生を受けて、1~3号機では爆発以前に、炉内の圧力を下げるためのベントが何度か実施されていますので、ベント時には各原子炉からは少量の放射能は放出されていますが、少量ですので、外部にまで汚染が拡散するほどではなかったということです。原発周辺一帯を汚染する放射能の大量発生は、4号機が爆発した15日であったということは、掲示した資料群が証明している通りです。

ではなぜ、原発事故の真相を解くに不可欠な、この不可解きわまりない事実について広く知られずに、事実上隠蔽されてきたのでしょうか。

その最大の理由は、当時の菅政権、というよりも菅総理は、原発の緊急事態の報告を受けても、3機の原発が次々爆発しても、放射線観測データの提出を一度も求めず、放射能の飛散、拡散を心配して対策を取るようにという指示すら一度も出したことはありません。政府事故調・国会事故調いずれの報古書のどこにも、そうした記録はありません。

しかし現地では放射線観測はなされており、その記録もきちんと残されており、WEBでも公開されています。なぜそのデータが菅総理官邸に届かなかったのか。状況からするならば、そもそも菅総理官邸と書くこと自体、余りにも異常ですが、菅総理はそう書かざるをえない対応を採っていました。

緊急事態が発生した場合、対策本部を設置し、設備の整った官邸地下にある危機管理センターで、各省庁とも連携して対策に当たることになっていますが、菅総理は正規の対策本部は設置せずに、個人的に指名した民主党幹部数人だけをメンバーにして、対応する手法を採りました。当時の閣僚すらほとんどそのメンバーに入っていないほどのごく限定されたメンバーだけを、5階にある官邸執務室(定員は10人ほど)に呼んで、あれこれ非緊急的な談話を繰り返していました。この極めて私的なメンバー構成では、呼ばれなければ、いくら現地で危険を顧みずに放射線を検測していても、官邸には届かないわけです。放射線観測に携わっている部署の担当者(官僚)は、一度も呼ばれていません。

正規の対策本部が発足していたならば、即座に放射線量の報告が届いたはずですし、その後も刻々と観測結果のデータが届き、その情報は対策本部で共有され、各省庁とも連携して即座に必要な対策が採られたであろうことはいうまでもありません。しかし菅総理はそうした、法に定められた正規の対策本部は設置せずに、ごくごく限定された少人数の私的メンバーだけで、巨大地震と原発事故という大災害に対応してきました。原発事故が発生した場合、迅速かつ的確に対策を進めるために、現地対策本部に総理大臣の権限の一部を委譲することが法律で定められていますが、菅総理はそれを拒否して、現地対策本部に一切の権限を委譲せず、東京の官邸の了解なしには何もできないという状況を生み出しました。

その結果、最重要な情報である放射線観測データも完全に排除されましたし、避難指示も遅れただけではなく、大混乱を招きました。原発事故後、当時の枝野幹事長(現立憲民主党委員長)は、東京の官邸から原発周辺の被災地に避難命令を出しましたが、現地で観測した放射線データではなく、官邸に呼ばれていた斑目原子力委員会委員長に聞いたりしたものの、あくまで推測で検討をつけて避難先を決めたとの、驚愕の事実が事故調報告書に書かれています。杜撰な指示ゆえ、避難先には放射能が飛散、再び避難しなければならないという事態に見舞われています。被災地での避難の遅れや混乱は、菅総理が現地対策本部に権限の一部委譲し、迅速な対応を可能にすることを拒否したことが、大きく影響していたことはいうまでもありません。

ちなみに現地対策本部は、保安院と福島県と東電の三者で構成。東電副社長は、現地対策本部設置のために、地震で交通網が遮断されている中、契約ヘリが待機している木場のヘリポートまで泥で膝までつかりながら歩いて行ったという。国会事故調だったか、政府事故調だったかの報告書に記録されていました。副社長は11日の深夜には現地に到着していますが、現地対策本部には権限は委譲されませんでした。

15日の早朝、東電本部に乗り込んだ菅総理は、東電の対策本部と官邸の私的メンバーによる対策本部とを統合することを宣言し、東電の対策本部までをも、官邸の私的メンバーによる対策本部の監視下に置くことを一方的に決定。菅総理は5時すぎという早朝に東電に押しかけ、威嚇演説で東電を震え上がらせた上で、東電が行う全ての対策、対応は、官邸の私的メンバーのご意向を伺った上で進めるという体制を瞬時に作り上げました。

アメリカからは、政府・米軍はもとより、アメリカの原子力規制委員会(NRC)やGEからも協力の申し入れが何度もなされていましたが、菅官邸は全て拒否(無視)。そこでNRCは詳しく状況をしりたいと、東電に直接会談を申し入れましたが、その席にも官邸の私的メンバーが同席して、NRCと東電は2者間での会合はついに持てぬままで、東電は官邸の監視下で動かざるをえない状況に置かれていました。こうしたいきさつは国会事故調に詳しく記録されています。

こういう菅総理による異常な独裁的かつ私的体制下では、現地での放射線観測が示す衝撃的な事実など表に出るはずもありません。というよりも、こうした事実をことごとく隠蔽するために、法を無視した私的な対策本部を作り、官邸の私的メンバーとその意を受けた人員を配置し、原発事故の実態が表に出ぬような体制を作ったわけです。

とはいえ、さすがのマスコミも、放射線量が全く公表されていないことに気づいたのか、政府に放射線観測データの公表を求め始めました。菅官邸もこの要求は無視できずに、観測データを公表し始めますが、そのデータは、15日の4号機爆発後に発生した放射能汚染拡散状況から類推、逆算して創作されたデータです。以降、この創作データが公認データとして、各事故調、マスコミ等々で使われ、現地で観測されていた生データは完全に無視され続けました。

事後的に放射線データを作成するに際しては、現地で観測している放射線観測班ではなく、斑目委員長を起用して新たに作った組織を使っていますが、その斑目委員長自身が、公表している放射線データは、爆発後に新たに発足した体制下で、事後的に創作したものであると解説しています。おそらく斑目委員長は、現地で放射線観測が実施されていたことはご存じなかったのだろうと思います。

以上の経緯から、福島原発事故の連続爆発は非常に不可解きわまりないものであったことは、誰の目にも明らかになったと思います。

さてここで、以前にも取り上げましたが、被災地支援に出動した米兵が高濃度の放射能に汚染され、被曝被害に遭われた米兵が東電を提訴したという事件を再度取り上げることにいたします。詳しくは、2018年3月19日の当ブログあらためて問う3.11にて書いておりますが、今回は、本号冒頭にご紹介しております資料から、2011年1月時点ですでに、宮城県沖周辺では放射能が検出されていたという驚愕の事実を踏まえて、あらためこの問題を考えてみたいと思います。

あらためて問う3.11に書いていますように、被災地救援のために現地に入られた2万5000人以上に上る米軍のうち、唯一被曝されたロナルド・レーガンの米軍は、韓国との合同演習に向かう途上の3月11日に巨大地震発生を知り、日本政府(菅官邸)の正式の要請を受けないまま、自主的に被災地救援に向かいました。米軍による組織的な救援開始は、これまた日本政府の正式の救援要請を受けないまま、3月16日以降に始まりますので、ロナルド・レーガンの米軍は、一番最初に被災地に向かったことになります。同盟国であり、日本に駐留する米軍としては、即座の救援開始は当然のことでもあると思いますが、この被災地入りの時期の違いが、なぜロナルド・レーガンの米軍兵士だけに被爆者が出たのか、その謎を解くカギの一つだと思います。

もう一つの理由は、自衛隊も政府からの正式の出動要請のない段階で即座に救援のために被災地に入っていますが、日本の自衛隊員には被爆者は出ていないこと、そして何よりも、被災地住民も米兵のような被爆者は一人も出ていない、皆無であるということ。さらには原発事故発生現場にいた福島原発の、東電と関連企業の数千人にも上る従業員にも被爆者は一人も出ていません。皆無です。つまり、福島原発事故で被曝被害を受けたのは、ロナルド・レーガンの米軍兵士だけであったということです。この事実は、ロナルド・レーガンの米軍兵士の被曝は、福島原発事故が原因ではないということを明白に証明しています。提訴している米軍兵士らは、福島原発以外を線源とする、かなり大量の放射能を浴びたことは疑問の余地もないほどに明らかです。

その一方、3.11より少なくとも2ヶ月も前に、宮城県沖では高濃度の放射線が検測されています。この放射線も福島原発とは全く無縁のものであることも明白です。辺りには他には原発はない。こちらも原発以外から放出された放射能であることも明白すぎる事実です。ここで前号3.11衝撃のデータ・上でご紹介済みのデータのうち、今号にこそふさわしいデータを再掲します。

2011/3/15~3/16
福島第一原発周辺環境放射能測定結果(環境試料)
表中に加えた赤い数字はわたしが書いたものですが、何を意味するものなのかは記憶にありません。

 

 

 

この資料はストロンチウム90とセシウム134・137の検測結果一覧ですが、牡鹿郡ではずっと「ND」(検出されず)が続いていましたが、2010年9月から「分析不可」、福島県と宇都宮では2011年の1月から、それまで「ND]が続いていたものが「分析中」ないしは「分析不可」に変わっています。いずれも原発事故か原爆から放出されるものですが、「分析中」とか「分析不可」との表示は、通常の検索ではありえない数値が出た場合、あるいは検測機器では検測できない(いわゆる針が振り切れる)ほどの超異常な高線量であったので、即座には公表せずに検討のために保留中であることを示していると思われます。ただ何ヶ月も公表せずに、ついに3.11を迎えてしまったのは、いずれの原発でも異常は発生していないことから原発には問題はないとして、結果として放置されたのかもしれません。

つまり検測値が示されていない異例の上記のストロンチウム一覧からも、巨大地震に見舞われた宮城、福島、栃木などでは、日本分析センターの一覧にある2011年の1月よりも前から、通常とは異なる放射線が検測されていたと見るべきだと思われます。3.11の半年以上も前から、「ND」では表示できない放射線が検索されていたことは明白な事実です。同じく、3.11の半年ほど前の10月に、福島原発で突如電源喪失状態に見舞われていますが、東電は保安院と合同で調査したが原因不明だと発表しています。この時は電源はすぐに復旧しましたが、素人考えでは、米軍とイスラエルが合同で開発し、WEB上にも拡散した、インフラを攻撃するコンピュータウイルス、スタックスネットかその亜種による攻撃ではなかったかと推測しています。日本は現在でもサイバー攻撃に対する防衛力は非常に脆弱ですが、当時はさらに脆弱、ウイルス攻撃だとの疑いすら持っていなかったはず。原発以外でも、日本の深部における防衛力は今でも非常に弱い。

昨年大騒動になったコインチェックで発生した仮想通貨の不正流出は、何と北朝鮮の仕業であったことが国連によって明らかにされました。わたしは、この事実が事業者であるコインチェックや日本政府、あるいは日本の捜査機関が明らかにしたのではなく、国連によってであることに非常に衝撃を受けました。日本は、北朝鮮によるサイバー攻撃を突き止める能力すらないのかという衝撃です。攻撃源を突き止める能力がないということは、防御能力もないということです。衝撃というよりも、日本人として心底恥ずかしいと感じています。最大の責任はサイバー防衛やIT人材教育に全く無能無策を続けてきた歴代に政権にあります。安倍政権になって初めてその対策が始まったことは高く評価すべきだとは思います。しかし北朝鮮のサイバー攻撃技術向上には、外国人(アメリカ人)が関与しているとはいえ、日本のサイバー防御能力は北朝鮮以下だということです。にもかかわらず、安倍政権は沖縄の辺野古埋め立てに躍起になっています。

今回は3.11がテーマですので、主題に戻りますが、3.11の地震と福島原発事故より数ヶ月も前から各被災地域で検測されている放射線とは無関係ではない、連動したものであるというのも明白な事実だと思います。つまり、地震は海中で放射能をはき出す物質によって引き起こされたことは明白ではないでしょうか。その核物質がどのような方法で使われたかは不明ですが、地震発生地帯一帯の海底に向けて小型核爆弾が繰り返し打ち込まれ、徐々に岩版破壊を進める方法が採られたのではないか。あるいは海底に小型核爆弾が設置されていたとも考えられます。

上掲しております3.11発生直後に公表された気象庁地震速報を見ると、14時46分に三陸沖に7.9、7.9,7.0の地震が3回同寺に発生したことが記録されています。後に、自然ではありえないと判断されたからなのか、この3つの同寺発生地震は一つに統合され9.0の地震と書き変えられていますが、人間の手が入る前の数字が事実を反映しているのではないか。この「9.0」の後、地震域は同時多発的に一気に拡大しましたが、群発地震などと名付けられ、いかにも学術的正当性を付与されたような印象操作がなされています。しかこれほど異様な密度で同時多発的に、日本列島の巨大な岩版を破壊するほどの力は、いったいどこから生み出されたものなのでしょうか。地震は岩版が破壊された衝撃で発生するとのことですが、長い日本列島の半分に近い地域の岩版を群発的に破壊するだけの力が、自然のいかなる現象によって起こりうるのか。おそらく専門家といえども、誰も納得できるような説明はできないはずです。3月9日と10日にも震度6から7クラスの地震が発生していたことは一般の報道にもありましたので周知のことと思いますが、後に前震と命名され、こちらも命名することで学術的正当性が付与され、疑惑を抱くことは封じられています。

実は気象庁のHPでは、過去の地震記録も検索できるようになっていることを先日知ったばかりですが、以下に、2011年3月の地震記録転載いたします。先ほど念のため検索したところ、同じデータが出てきません。検索の仕方が悪いのかもしれませんが、データが消されるか、隠蔽されるかもしれませんので、PDFで保存していたデータを使って以下に、文字部分だけを転載します。このWordPressはphpという仕様ゆえか、HTML仕様の表組みが表示されず、読みにくいですが、文字のみの転載となります。地震は発生日時の新しい順に並んでいます。

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2019/3/15 気象庁|震度データベース検索
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.php

カスタム検索
観測された震度・地震の規模等を指定しない ▲

検索条件
地震の発⽣⽇時2011/03/02/01 00:00 〜 2011/03/11 23:59
最⼤震度震度3以上
観測された震度
宮城県
上記で 震度3以上 を観測
検索結果
検索結果地震数 ︓ 87 地震 (「地震の発⽣⽇時の新しい順」で表⽰)

震源リスト

*は地⽅公共団体または防災科学技術研究所の観測点です

2019/3/15 気象庁|震度データベース検索

地震の発⽣⽇時   震央地名 緯度  経度   深さ M 最⼤震度/検索対象最大震度
1 2011/03/11 23:28:49.9 宮城県沖38°19.8′N 142°01.5′E 42km M4.9 3 3
2 2011/03/11 23:10:38.8 福島県沖37°30.2′N 141°59.7′E 31km M5.2 3 3
3 2011/03/11 22:56:05.6 福島県沖37°39.9′N 141°43.3′E 46km M5.3 3 3
4 2011/03/11 22:15:43.3 福島県沖37°18.8′N 141°55.6′E 26km M5.2 3 3
5 2011/03/11 21:56:03.6 福島県沖37°47.6′N 142°02.8′E 29km M5.3 3 3
6 2011/03/11 21:54:51.3 宮城県沖38°30.2′N 142°08.7′E 39km M5.1 3 3
7 2011/03/11 21:33:10.9 三陸沖38°04.0′N 142°45.4′E 10km M5.1 3 3
8 2011/03/11 21:15:42.0 岩⼿県沖39°07.5′N 142°24.3′E 23km M5.9 4 4
9 2011/03/11 21:13:03.0 福島県沖37°13.5′N 142°13.0′E 26km M6.2 4 4
10 2011/03/11 20:57:14.1 岩⼿県沖39°16.3′N 142°18.6′E 29km M5.3 4 3
11 2011/03/11 20:39:27.5 宮城県沖38°19.8′N 142°14.8′E 25km M5.8 4 4
12 2011/03/11 20:36:39.9 岩⼿県沖39°13.8′N 142°34.7′E 24km M6.7 5弱4
13 2011/03/11 20:31:07.0 宮城県南部38°10.9′N 140°29.3′E 9km M5.2 4 4
14 2011/03/11 20:30:16.2 三陸沖39°17.3′N 143°37.5′E 0km M5.7 3 3
15 2011/03/11 20:28:52.5 宮城県沖38°41.7′N 142°15.4′E 35km M5.2 3 3
16 2011/03/11 20:00:53.0 福島県沖37°43.3′N 141°43.8′E 46km M5.5 4 3
17 2011/03/11 19:58:04.3 岩⼿県沖39°01.0′N 142°22.0′E 32km M4.9 4 3
18 2011/03/11 19:20:24.5 福島県沖36°54.4′N 142°17.2′E 12km M5.8 3 3
19 2011/03/11 19:13:12.4 宮城県沖38°37.5′N 141°55.0′E 46km M5.3 3 3
20 2011/03/11 19:10:39.7 岩⼿県沖39°20.0′N 142°09.1′E 44km M6.2 4 4
21 2011/03/11 19:10:18.5 宮城県沖38°56.6′N 142°35.3′E 31km M4.7 3 3
22 2011/03/11 18:42:20.1 岩⼿県沖39°29.8′N 142°45.2′E 24km M5.6 3 3
23 2011/03/11 18:34:20.3 福島県沖37°17.8′N 141°16.1′E 46km M4.8 3 3
24 2011/03/11 18:33:35.7 福島県沖37°25.0′N 141°43.7′E 40km M4.5 3 3
25 2011/03/11 18:27:37.8 宮城県沖38°17.8′N 142°11.5′E 36km M5.4 3 3
26 2011/03/11 18:26:34.7 宮城県沖38°52.9′N 142°44.0′E 23km M4.1 3 3
27 2011/03/11 18:16:24.1 福島県中通り37°54.2′N 140°20.5′E 7km M5.1 3 3
28 2011/03/11 17:47:55.9 宮城県沖38°49.7′N 142°04.3′E 41km M5.1 3 3
29 2011/03/11 17:46:44.1 福島県沖37°26.9′N 142°23.6′E 15km M5.9 3 3
30 2011/03/11 17:40:54.5 福島県沖37°25.4′N 141°16.3′E 30km M6.0 5強4
31 2011/03/11 17:31:07.8 福島県沖37°28.0′N 141°22.6′E 31km M5.9 4 4
32 2011/03/11 17:27:48.3 三陸沖38°01.9′N 142°47.1′E 30km M6.2 3 3
33 2011/03/11 17:27:17.2 福島県沖37°27.5′N 141°27.4′E 43km M5.1 3 3
34 2011/03/11 17:19:17.2 茨城県沖36°09.4′N 141°42.9′E 36km M6.8 4 3
35 2011/03/11 17:12:06.4 茨城県沖36°32.9′N 141°23.1′E 32km M6.6 4 3
36 2011/03/11 17:04:53.5 福島県沖37°15.6′N 142°06.6′E 19km M5.9 3 3
37 2011/03/11 16:56:09.2 福島県沖37°02.9′N 142°34.1′E 11km M6.2 3 3
38 2011/03/11 16:54:43.3 福島県沖37°40.1′N 141°41.0′E 35km M5.5 3 3
39 2011/03/11 16:54:00.1 宮城県沖38°59.9′N 142°21.9′E 27km M4.9 3 3
40 2011/03/11 16:40:53.8 宮城県沖38°27.2′N 142°17.3′E 28km M5.3 3 3
41 2011/03/11 16:38:26.5 岩⼿県沖39°15.2′N 142°48.4′E 16km M5.8 4 3
42 2011/03/11 16:37:56.8 岩⼿県沖39°19.3′N 142°09.0′E 42km M5.0 3 3
43 2011/03/11 16:34:51.7 三陸沖37°58.6′N 142°45.0′E 13km M5.7 3 3
44 2011/03/11 16:30:15.6 福島県沖37°21.8′N 141°15.5′E 27km M5.9 5弱4
45 2011/03/11 16:28:59.8 岩⼿県沖39°01.3′N 142°18.6′E 17km M6.6 5強5強
2019/3/15 気象庁|震度データベース検索
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.php 3/4
46 2011/03/11 16:28:52.2 宮城県沖38°49.3′N 142°08.8′E 39km M5.6 4 4
47 2011/03/11 16:25:36.1 三陸沖38°03.8′N 144°30.1′E 40km M6.2 3 3
48 2011/03/11 16:17:42.7 福島県沖37°08.5′N 142°35.4′E 20km M6.5 4 3
49 2011/03/11 16:14:57.0 茨城県沖36°33.4′N 142°02.4′E 25km M6.8 4 4
50 2011/03/11 16:10:56.5 三陸沖37°49.1′N 142°51.5′E 27km M6.2 3 3
51 2011/03/11 16:05:34.4 岩⼿県沖39°01.3′N 142°24.1′E 27km M5.7 4 3
52 2011/03/11 16:04:15.7 宮城県沖38°59.0′N 142°25.6′E 24km M5.7 4 3
53 2011/03/11 16:01:24.3 宮城県沖38°32.7′N 142°03.0′E 38km M5.0 3 3
54 2011/03/11 15:49:50.2 岩⼿県沖40°06.5′N 142°37.0′E 7km M5.9 4 3
55 2011/03/11 15:49:01.7 宮城県沖38°23.1′N 142°16.0′E 23km M5.6 3 3
56 2011/03/11 15:48:18.5 宮城県沖38°53.4′N 142°06.2′E 43km M5.2 3 3
57 2011/03/11 15:46:09.3 宮城県沖38°45.0′N 142°13.8′E 38km M5.6 4 3
58 2011/03/11 15:44:08.1 宮城県沖38°44.7′N 142°12.9′E 40km M5.4 4 3
59 2011/03/11 15:40:49.7 岩⼿県沖39°19.9′N 142°04.2′E 48km M5.9 4 3
60 2011/03/11 15:33:15.7 福島県沖37°29.5′N 143°31.8′E 40km M6.4 3 3
61 2011/03/11 15:29:15.1 三陸沖37°56.0′N 143°55.9′E 15km M6.9 3 3
62 2011/03/11 15:25:44.3 三陸沖37°54.8′N 144°45.0′E 11km M7.5 4 4
63 2011/03/11 15:23:05.8 岩⼿県沖39°01.2′N 142°24.6′E 31km M6.1 4 4
64 2011/03/11 15:22:45.5 宮城県沖38°22.5′N 141°48.8′E 42km M4.6 3 3
65 2011/03/11 15:20:44.1 茨城県沖36°35.3′N 141°43.4′E 62km M5.7 3 3
66 2011/03/11 15:19:03.1 茨城県沖36°17.4′N 141°07.5′E 33km M5.7 4 3
67 2011/03/11 15:15:34.2 茨城県沖36°07.2′N 141°15.1′E 43km M7.6 6強4
68 2011/03/11 15:13:43.9 福島県沖37°41.5′N 141°48.5′E 40km M5.8 3 3
69 2011/03/11 15:12:58.6 福島県沖37°13.6′N 141°38.7′E 39km M6.7 5弱4
70 2011/03/11 15:08:53.4 岩⼿県沖39°49.2′N 142°46.0′E 32km M7.4 5弱4
71 2011/03/11 15:07:16.1 茨城県沖36°18.1′N 142°13.5′E 20km M6.5 4 3
72 2011/03/11 15:06:10.7 岩⼿県沖39°02.6′N 142°23.8′E 29km M6.5 5弱4
73 2011/03/11 15:05:06.3 福島県沖37°31.1′N 141°37.3′E 22km M5.9 4 3
74 2011/03/11 15:03:58.8 茨城県沖36°19.7′N 141°57.7′E 17km M6.0 3 3
75 2011/03/11 14:58:05.5 福島県沖37°41.3′N 141°56.0′E 35km M6.6 5弱5弱
76 2011/03/11 14:57:01.1 福島県沖37°24.1′N 141°07.3′E 22km M5.2 4 4
77 2011/03/11 14:55:53.4 茨城県沖36°29.5′N 141°46.3′E 55km M6.0 3 3
78 2011/03/11 14:54:31.3 福島県沖37°30.4′N 141°21.1′E 34km M6.1 5弱4
79 2011/03/11 14:51:20.5 福島県沖37°18.6′N 142°14.2′E 33km M6.8 5弱5弱
80 2011/03/11 14:46:18.1 三陸沖38°06.2′N 142°51.6′E 24km M9.0 7 7
81 2011/03/11 03:13:59.3 宮城県北部38°48.2′N 140°51.6′E 5km M3.4 3 3
82 2011/03/10 06:23:59.7 三陸沖38°10.3′N 143°02.6′E 9km M6.8 4 4
83 2011/03/10 03:44:35.7 三陸沖38°28.7′N 143°25.9′E 36km M6.3 3 3
84 2011/03/10 03:16:14.1 三陸沖38°16.2′N 142°52.7′E 29km M6.4 3 3
85 2011/03/09 13:36:59.1 三陸沖38°36.3′N 143°14.9′E 11km M6.1 3 3
86 2011/03/09 11:58:11.8 三陸沖38°17.9′N 143°09.3′E 21km M6.0 3 3
87 2011/03/09 11:45:12.9 三陸沖38°19.7′N 143°16.7′E 8km M7.3 5弱5弱

2019/3/15 気象庁|震度データベース検索
https://www.data.jma.go.jp/svd/eqdb/data/shindo/index.php 4/4

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このリストの最後から6つの地震(№82~87)は3月9日と10日に発生したものです。これらは、「前震」という新語名称を付けるだけで片付くはずはありません。しかも翌日、翌々日の11日には「M9」の最強地震に続き、M6~7前後の巨大地震が、宮城県のみならず、福島県、茨城県、岩手県にまで群発しています。さらには12日以降には長野県を中心にした中部地方でも同規模の地震が多発しています。自然現象として説明できるものではないのは明らかです。

福島原発事故では、3度目に爆発した、原子炉が空っぽの4号機の爆発後に大量の放射能が飛散したこと、福島原発事故以前から、宮城県、福島県、茨城県では原発由来ではない放射能が検出されていたこと、被災地支援に入った米軍2万5000人のうち、三陸沖を航行、停泊していたドナルド・レーガンの米兵のみが被曝したということ、被災地の住民や自衛隊や警察などにも被爆者はいないということなどとも考え合わせて、地震や原発事故について、あらためてその真相を検証し直すべきだと思います。

また、原発事故現場を米軍の無人機トマホークが撮影し、その映像は日本政府(菅官邸)に提供されましたが、菅官邸は、事故の真相を探るに最重要なその画像の公開は拒否し続け、何が映っていたのかは今に至るも隠されたままです。データの隠蔽を問題にするのであれば、これこそ全マスコミ、全国民がデータの公開を要求すべきだと思いますが、どこからもそんな声は聞こえてきません。異常な災害対応を続けた菅官邸のことゆえ、この映像がきちんと保存されているのかどうかも怪しい。今からでも遅くはありませんので、この映像の公開を求めるべきではないでしょうか。もしも廃棄していたのであれば、菅官邸の元メンバーはこの世に存在することすら許されないはずです。

ただ、原発事故が外部からの攻撃に由来するものであったにせよ、東電の責任は免れません。原発事業に携わる事業者には、自然災害はもとより、悪意ある外部者による攻撃をも想定した安全対策が求められるからです。2001年の9.11以降、欧米の原発では、テロに対する防護策も強化されたそうですが、日本ではその危機感は非常に希薄、東電も同様です。経産省が対策強化を促しても、ほとんど応じなかったことも記録されています。東電の安全対策軽視には、安全対策に「過剰な」経費を使うことに、東電の株主(米国の投資ファンド)から強い反対があったことも理由の一つであったとの新聞記事を読んだ記憶があります。

3.11当時、東電株や関連株の大量空売りでボロ儲けした投資家がいたことが、ネットではさかんに報じられていました。震災前後の株の動きのチャートを添えての暴露記事、論評記事でしたので事実だと思われますが、となると、明らかに自然災害の範疇を超えた3.11巨大災害は、ボロ儲けした投資家が仕掛けたものなのかとの疑惑が出てきますが、そうでもあり、そうでもないというのが真相ではないかと思います。

というのは、3.11の数年前に発生し、大騒動となったライブドア事件でも周知のとおり、アメリカの投資ファンドが陰で動いていたからです。最終的には堀江社長の有罪と韓国の公営企業によるライブドア買収という形でこの事件は決着しましたが、粉飾まみれだとの印象を振りまいた検察の大々的な捜査と、マスコミの派手派手しい報道により、日本企業はどこも事件により危機に瀕している同社を買収しようとか、投資をして債権させようとか考えるはずもない状況下で米の投資ファンドは安値で買いたたいたであろうとはいえ、同社を買収し、韓国の公営企業に売却しました。

投資ファンドは基本的には自らは企業をけいえいすることはありませんので、日本企業はどこも手を出すはずもない状況下で同社を買収した投資ファンドは、売却先の目処はつけていたはずです。つまりはこの大騒動の背後には、アメリカの投資ファンドと韓国公営企業がいたということことです。アメリカの投資ファンドとはいえ、その顧客である出資者は欧米だけはないということです。韓国政府は、年金などの公的資金をこうしたファンドと組んで、ボロ儲けの配分を受けているのではないかというのが、わたしの見立てです。

3.11直前の東電株の空売りでも、韓国にもその配分が渡っていたのではないか。地震の発生は、数ヶ月前に発覚した禁止されている外国人(韓国人)からの献金問題で追及を受けていた菅総理が、国会での厳しい追及を受けて、あわや内閣総辞職不可避という状況に追い込まれていたその渦中に巨大地震が発生した偶然も、その後の災害対応でも、連日申し入れを続けていた米国政府を無視しつづけ、海外からの救援部隊としては韓国だけを受け入れたという不可解事も、韓国をキーワードとして読み解くべきであることを示唆しているはずです。

さてここで、もう一つ資料を紹介します。某大学の学士の卒論として書かれた研究論文の中に、北によるミサイル発射の履歴一覧表が掲載されていました。そのままご紹介すると、素人目にも、学士の卒論とは思えないその高度な分析内容からすると、その身に危険が及ぶのではないかと思い、必要な箇所だけ引用させていただきます。この一覧は防衛省提供の資料ですが、現在は防衛省でも、北朝鮮による核・弾道ミサイル開発についてのように、古いミサイル発射履歴は簡略化されています。

<北朝鮮のミサイル発射履歴>

1998年 テポドン1発
2006年 スカッド・ノドン7発
2009年 テポドン1発、スカッド・ノドン7発

古い履歴が見たかったのは、北朝鮮のミサイル発射実験が本格的に始まったのは2006年、2004年5月の小泉元総理の2度目の訪朝後であったことを資料として確認したかったからですが、ネット上にはいくら探しても見つかりませんでした。やっと見つけたのは、上記論文であったわけですが、今では防衛省までがその詳細を明らかにはしていないことからも、執筆者のお名前を伏せるべきだと判断した理由です。当然のこととして、北の核実験も同時期に始まっています。

北のミサイル発射の中で、わたしが最も気になったのは2009年のミサイルが東北地方に向けて発射されていたことです。2009年といえば民主党政権時代でしたが、北のミサイル発射に厳しく抗議したとの記憶はありませんし、そもそも、この時期のミサイル発射の事実すらほとんど知られていません。この北の突如として始まったミサイル実験や核実験が即3.11に直結するとまではさすがのわたしも即断はしかねますが、3.11を画策していた勢力に様々なデータを提供したり、場所を提供したりすることは十分に考えられます。

当時の韓国の李明博大統領は、2010年に北の平壌に工科大学を建設しており、表では派手に対立を繰り返しながらも、裏では手を繋いでいるという事実も確認済みですので、こうした様々な状況を勘案しつつ、3.11及び、日本の安全保障を真剣に考えるべきだと思います。

既刊本広告なお冒頭で紹介しましたデータを公開しているはずの日本分析センターのHPには、この時期(2010年後半~2011年)のデータが全て削除されています。

宮城 2011~2012年 (2013年2月分が表示される。その後、メンテナンス中との表示に変わっています。)
宮城・岩手2011 ~2012
(2010年の前半までのデータしか表示されず、2011年分は全く表示されず。その後、メンテナンス中との表示に変わっています。)

 

3.11に関する様々なデータは、今の隠蔽がつづいています。こうした重大なデータの隠蔽こそ国会で追及すべきではありませんか。

今回でこのテーマは完結したく、非常に長すぎるブログになってしまいましたが、一人でも多くの方にお読みいただきたく存じます。

3.11衝撃のデータ・上