「主戦場」とデザキ監督

「主戦場」とデザキ監督

2019-09-12

「葦の葉ブログ2nd」より転載

 

1慰安婦をめぐる国際シンポジウム

今回は、大パッシングを受けた「週刊ポスト」の断韓記事騒動について書くつもりでしたが、9月5日、九大大学院人間環境学府が中心になって開催した、「アジアの戦争関連『遺産』をめぐる政治力学」と題した国際シンポジウムの初日に参加しましたので、その演題、「慰安婦」をめぐる発表を聞いた感想なども交えて書くことにしました。映画「主戦場」も上映され、デザキ監督ともお話することもできましたので、監督とのやりとりなども合わせてご報告いたします。なお今回は、いつもの倍ぐらいありそうなほど長いですが、どうぞ最後までお読みください。また恒例となりました、本文と関係のない各地の祭りの画像も掲載します。

シンポジウムは、開催日前日の4日付け西日本新聞の「人」欄にシンポジウムの責任者である九大大学院人間環境学府の英国人教授エドワード・ヴィッカー氏の紹介と、初日の5日には慰安婦問題を取り上げ、映画「主戦場」のデザキ・ミキ監督も出席するとのことが紹介されていました。この概略だけでもシンポの内容や方向性は明白ですが、いくら韓流に汚染されているとはいえ、九大が、事実確認もなされぬままの露骨な日本批判不可避の国際シンポを開くのかと、心底驚愕しました。これは、何はさておいても聞きに行かなくてはと思いました。

日本三大盆踊り ニューヨークに集結
上記リンクのFNN PRIMEで動画もご覧あれ。アメリカ人も一緒に盆踊り。1万人が参加したとのこと。

日本語通訳があるのかどうか不明でしたが、新聞を見たのは夜でしたので、九大のHPを調べたところ、新聞記事のようなシンポの案内はありませんでした。翌日、新聞社に電話しましたが詳細は不明とのことで、記事の最後にヴィッカー氏のメールアドレスが書かれていることを教えてくれました。前夜記事を読んだ時は見落としていたのですが、今からメールをしても時間までには返事はもらえないだろうとは思いつつも、一応メールを差し上げました。

返信メールを待っていては、おそらくシンポは終わってしまうだろうと思いましたし、ヴィッカー氏は、インタビュー記事ではこのシンポは市民にも開かれていると語っておられたので、英語が分からなくても何とかなるだろうと思い、会場に向かいました。

Tokyo, Japan – July 29, 2016 : Bon Odori Dancers at the Sugamo Bon Odori Festival in Toshima Ward, Tokyo, Japan. Bon dance, is a style of dancing performed during Obon.
ハワイの盆踊り

バスで向かったのですが、西の方面にはバスで行くことはほぼ皆無なので、念のためにバスの運転手さんに降車駅を尋ねたところ、本来降りるべき駅から3つ先の駅を教えられました。これも大きく響きましたが、地下鉄で戻ったものの、降りてからも迷いました。人に聞いても、会場となった建物はどなたもご存知ない。

次に頼ったGoogleMapナビでは、住宅街に入りましたが、目的地まで「0 m」と標示されても目的物はどこにも見当たりません。後で逆方向に進んでいたことが分かったのですが、住宅街なので進めば進むほど迷路化。もう帰ろうかとも思いましたが、駅まで戻るのもかなりあります。やむなく住所標示板を見ながら辿ってみると、民家よりも大きな会場らしき建物が右手に見えました。正解、やっと会場に着きましたが、切り忘れていたGoogleMapからは、「次を左に曲がってください。」とのアナウンス。GoogleMapは、最後の最後までわたしの進路を邪魔してくれました。

熊本県山都町・八朔祭

以前にも同様の経験があったので、道順を熟知している自宅までのナビをGoogleMapで試したことがありましたが、ここでも自宅に辿り着けない経路しか出ませんでした。ただ、誰に聞いても、このような経験はわたし以外には誰も経験したことはないとのことですので、わたしにのみ特殊な「怪異」現象なのだろうと思われます。わたしには、強力で執拗な韓流背後霊がついているようですので、そちらの方面から発せられる「怪異」現象なのかもしれません。

ということで、会場到着が45分ほど遅れまして、最初に登壇された韓国人研究者(韓国人慰安婦組織―挺身対協?のトップで韓国の大学教授)の発表は聞けませんでした。オーストラリア人研究者の発表途中から聞くことができましたが、通訳なしの英語のみ。スクリーンに映し出されたレジメに、邦訳された概要が表示されていましたので、それを頼りに発表の概略は理解できました。以下続いた日本(日本語のレジメも配布)、中国も同様でしたが、発表内容の概略は理解できました。

印象を一言でいえば、「アジアの戦争関連『遺産』」というテーマを掲げながら、日本軍の非道にのみ焦点が当てられる慰安婦問題が第一のテーマに据えられていることには、およそ大学の研究にはありえぬ偏向ではないかと強い違和感を覚えました。中国人研究者も、日本軍が中国で900いくつも設置したという慰安所の調査資料を、スクリーンに映しながら日本軍の非道な行動を縷々説明していました。彼は中国語で発表していましたが、通訳が英語で逐語通訳していました。

発表が終わると質疑応答がありましたので、質問しました。日本語しか話せないと断りを入れたところ許可されたので、次のような質問をしました。

1. 元岡の九大本部(福岡市西区の人里離れた山の中)で開催せずに、市街地の会場で開き、新聞記事にも市民(日本人のはず)の参加も呼びかけていたにもかかわらず、通訳なしの英語のみのシンポジウムは、市民に閉ざされたものではないのか。

2.  日本軍による慰安婦問題が縷々論じられていたが、それらの論議は全て韓国人慰安婦の方々の証言とその情動が大前提になっています。しかし、ほんとうに彼女たちが主張するような事実があったのかどうか、物的証拠に基づいて検証することこそが、大学の先生方のなすべき研究であり、大学の先生だからこそ可能な研究ではないのか。

その意味では、韓国で発見されたインドネシアの慰安所の管理人であった韓国人男性の書いた「慰安所日誌」は、韓国側が有する唯一の物的証拠となるものですが、この日誌が取り上げられないのはなぜなのか。この日誌には、韓国側の主張を全面的に否定する内容が書かれているからなのか。是非、この日誌を研究していただきたい。

3.  日本軍の慰安所・慰安婦問題は、戦場における性の問題として検証すべきではないか。戦場における性の問題は、日本やドイツやフランスやイギリス(「慰安所」―出典明示の解説)のように慰安所を利用するか、ベトナムに派遣された韓国軍やモンゴルに侵略した中国軍のように強姦に任せるか、のいずれかの方法でしか解消できないことは明らかです。現在の国連ですら、平和部隊として送られた兵士たちは、支援すべき派遣先で現地の女性を強姦していますが、日本でも世界でもほとんど報じられないので、彼らの犯罪は無罪放免されています。

戦場における性の問題は、日本軍の慰安婦問題にのみ焦点を当てるのではなく、戦場における女性の性被害をいかにして軽減できるか、という観点で論じる方がよほど生産的だと思いますので、論点の視野をもっと広げてほしい。

だいたい以上のような質問をしましたが、いかんせん、英語に翻訳されないので日本語の分かる人にしか伝わらなかったのは残念でした。司会をされていた英中日語がご堪能なヴィッカー教授からは、1に対しては謝罪の言葉があり、3に関しては、戦場の性の問題をゼロにしたいとのご回答(従来路線で行く?)がありましたが、2の質問には無回答。

質問の後の休憩時に近くに座っておられた日本人男性から「勇気あるね」と声をかけられ、その後の討議の通訳をしていただきました。感謝。別の日本人男性からは、あなたの(3の内容の)提案はなかなかいいね。今まで誰もいったことなかったと思うよとの感想もいただきました。日本人女性の発表者からは、わたしの3の提案に対しては、日本軍の慰安所は余りにもひどいのよとの感想が伝えられました。慰安婦を相手にすることは、強姦虐殺の罪よりははるかに重いということらしい。

男性の中国人研究者もわたしの所にやってきて、実は日本語ぺらぺらの方で、ご自分の発表は事実だと言われました。わたしは、慰安所があったのは事実だと思いますが、戦場の性の問題で言うならば、中国軍もモンゴルなどで強姦虐殺などやっているではないですかと言うと、彼は、それは否定はせずにそうだと頷きました。しかし「慰安所」と論点を絞ることで、日本軍にのみ批判、非難を集中させようというのが、このシンポの開催者や参加者たちの総意のようでありました。批判しているのは、部外者で素人のわたし一人でしたから。通訳のない発言は不明でしたが、雰囲気的に、わたしのような批判は皆無のよう。

なお次の「SAPIO」記事は、韓国軍がベトナムで犯した残虐極まりない悪行の数々や、韓国軍がベトナムにも慰安所を設置し、慰安婦にしたベトナム人女性に対し非道な扱いをしていたことなどを、明らかにしたものです。ベトナムで韓国軍が直接慰安所を設置したのは、韓国軍による強姦、虐殺事件が多発していたことや、慰安婦相手の行為の最中にベトコンに襲われ、韓国軍兵士が拉致されるという事件まで発生したからだという。

ベトナムでの韓国軍の悪行の数々は、米国の公文書にも記録されているものですが、ベトナムの慰安所は、後には米軍兵士も利用したという。さらには韓国では、朝鮮戦争時にも慰安所が設置されていたことも詳細にレポートされていますが、これも強姦多発を受けての設置だったという。慰安婦は韓国人女性だけではなく、北朝鮮女性まで拉致して慰安所で兵士の相手をさせていたという。韓国に設置されている米軍用慰安所はよく知られていますが、ここではフィリピン人女性が、まさに奴隷のように働かされているという。目を背けずに読んでいただきたい。

韓国軍のベトナム人慰安婦 その陵辱と乱行の黒歴史を暴く 念のため記事のアドレスも書いておきます。http://ianfu-shinjitu.jp/bks/03/box5/b04.pdf

2「主戦場」とデザキ監督との対話

研究発表の後、思いがけなくも映画「主戦場」の上映がありました。デザキ監督が出席されるとはいえ、映画の上映まであるとは想像していませんでしたが、おかげで話題の映画も観ることができました。感想を一言でいえば、プロパガンダ映画としては上出来だということ。つまりこの映画の洗脳力はかなり高いということです。その映画が全国展開しているとのことですので、事実を訴えたいわれわれにとっては、非常な脅威になりそうです。

映画は構成が二つに分かれており、前半が慰安婦問題、後半が改憲を核にした安倍総理批判となっており、最後に両者が一つになって、慰安婦問題の主テーマに戻るという作りになっており、慰安婦問題での日本批判と安倍批判がセットになった映画です。

秋田県・西馬音内盆踊り
上掲写真と同じ盆踊りですが、顔を黒布で隠して踊るという非常に珍しい盆踊りですので、もう1枚追加。

この際、韓国人たちの慰安婦批判を支持する方々を便宜上左派と呼び、事実をねじ曲げた不当な批判だと主張する人々を右派と呼ばせていただきます。

デザキ氏は、上智大学大学院の卒業制作としてこの映画を制作したそうですが、出演者に対してもその旨を伝え、公正、公平、中立の立場から慰安婦問題を検証する映画を作りたいとして出演を依頼したとのこと。確かに映画の作りは左右両派を登場させ、一見公平そうに見えるのですが、右派の主張を先に紹介し、その後、その右派の主張を否定するような左派の主張なり資料を映し出すという構成になっていますので、否定する左派の主張の方が印象に残りやすい。しかも右派の主張を、左派が否定しやすいところでカットしている上に、左右両派の画面の転換がかなり速いテンポ進むので、「?」と感じても、「?」の正体が何なのか、考えるいとまもなく映画の進行に引きずられてしまいます。

富山県・越中おはら風の盆

その端的な例が、登場の度に明確に主張すべきを主張していた杉田水脈議員が、韓国人は簡単にウソをつくが、悪いとは思っておらず、騙された方が悪いとぐらいに考えているという趣旨の話をした場面です。直後に、韓国の中学生か高校生1年ぐらいの、あどけなさの残る男の子と女の子を登場させ、「ウソをついて騙された場合、騙した方が悪いか、騙された方が悪いかどっちだと思う?」という質問をし、どちらからも「騙した方が悪い」との答が返ってくる場面をかぶせ、杉田議員があたかもウソをついて韓国人を貶めたとの印象を強力にアピールするという、余りにも公平さを欠いたあくどい手口を堂々と披露。

韓国人が平気でウソをつくという事実を意図的に隠した場面が他にもいくつも出てきますが、慰安婦問題浮上の決定的な役目を負うことになった河野談話の背景事情を映した場面の作為にはさらに怒りを覚えます。その場面とは、国会で当時の官房長官であった石原信雄氏がその由来を述べたところです。石原氏は、軍の関与を示す資料は出てこなかったが、慰安婦の方々が言っておられるので、そのお気持ちを汲んで謝罪することになったという趣旨の話をされたところまでは映っていました。ここだけ観ると、証拠となる資料はなかったという日本政府の言い分を裏付けるもので、いかにも公平、公正に作られているとの好印象を観るものに与えます。しかし石原氏の発言では、もっと重要な部分がカットされています。

わたしは偶々この国会中継を聞いていましたが、石原氏は、河野談話を発して韓国側に謝罪したのは、韓国政府が、日本が慰安婦問題で軍の関与を認めて謝罪してくれるのであれば、韓国は今後二度とこの問題を蒸し返さないといったので、それならばということで、河野談話を発表して韓国に謝罪したという。韓国側が二度と慰安婦問題を蒸し返さないという確約を正式の文書として残さずにこの重大な発表をしたという、当時の日本政府は韓国を完全に信用していたわけですが、ものの見事に騙されました。

デサキ氏はこの重大な事実を完全に隠蔽したまま公正さを装い、実はその裏をかくという手口の汚さを遠慮会釈なく駆使。しかしその手口に気づく人は限られていますので、この映画の洗脳力に抗するのは容易ではありません。

しかもこの手口は随所で発揮されています。冒頭近く、「日本軍による性奴隷20万人!」と欧米で大々的に報道されたTV画面が次々と映し出されます。1社、2社が報道したのではなく、欧米のあらゆるTVが競うように報道したのではないかと思われるほどの、その量の余りの多さに衝撃を受けましたが、間接的映像を使った見事な利用例。

左派系論者の代表であり、韓国側の主張を学者として強力に支援してきた中央大学の吉見義明教授は、この映画でも、右派論者の主張を一言で切り棄てる発言を重ねていました。左派系の学者は多数出演していましたが、吉見氏は一言で決めつけるような発言が多く非常に記憶に残りやすい。特に記憶に残っている主な発言を以下に紹介します。

1.  将校などが多額の金を慰安婦に払ったのは、当時のインドネシアは非常なインフレだったので、いくら高額な日本円を持っていても現地では使い物にならなかったので、慰安婦に渡したにすぎない。――久本の批判・将校や兵士に支給される給与は戦地で消費することを前提にしたものではない。慰安婦にしても、戦地から韓国や日本に送金しています。

2.  右派論者は慰安婦は性奴隷ではないという根拠として、慰安婦たちは高額の報酬を得ていたり、外に遊びや買い物に行ったりしていたことを挙げているが、アメリカの黒人奴隷も音楽を演奏したりする自由はあった。――久本の批判・【人種差別】アメリカで本当にあった黒人差別の恐ろしい真実と歴史https://www.buzzfeed.com/jp/bfjapannews/qs-usr(戦後の事例)黒人リンチで4000人犠牲、米南部の「蛮行」 新調査で明らかに

3.  韓国でも米軍のための慰安所が作られていたではないかという右派の言い分に対しては、そうした慰安所を作ったのは元日本兵であった韓国人軍人たちであるので、韓国駐留米軍向けの慰安所が作られたのも日本軍の責任であるとの、奇説を展開。――久本の批判・韓国でも慰安所を作ったのは、米軍による強姦や殺傷事件が相次いだからですが、当時の朴政権は、米軍による蛮行を報じることを厳しく禁止していましたので、それらの事件は公の場では問題化されませんでした。

しかし勇気ある韓国人ジャーナリストが、その実態を調査して書籍として出版、マスコミはなお隠蔽に荷担していましたので、本書を読んだ人という限られた範囲内とはいえ初めて公になりました。後に日本でも邦訳が出版されました。タイトルは忘れましたが、米軍が殺傷し、強姦した韓国人被害者の数は10万人であったということで、タイトルにも「10万人」という数字が入っていました。

また、日本統治前の韓国(朝鮮王朝)には近代的な軍隊組織は存在していなかったので、事あるごとに、朝鮮は中国や日本あるいはロシアなどの外国に助けを求めるのが常でした。という状況を考えると、日本軍が韓国に残した近代的な軍事組織とそのノウハウは、その後の韓国(及び北朝鮮)にとっては、金銭には換えがたい遺産となったのは明らか。

4.  米国が30億円もの巨額予算と7年もの歳月をかけて調査した結果でも、強制連行の事実を示す資料はなく、慰安婦はカネをもらって売春に従事していた売春婦であることが明らかになったことに対し、調査官の主観的な判断に左右された結果だ、あるいはナチスの犯罪を調査することに主眼が置かれているので、日本軍の犯罪までは十分に調査されなかったからだと反論。――久本の批判・日本とは比較にならないほど、行政関連資料の保管がなされている米国で、そんな杜撰な調査がありうるのか。しかも30億円も巨額予算と長い歳月をかけて、満足な調査もできないほど、アメリカの調査官の能力は低いのか。そんな杜撰な仕事をアメリカ議会も国民も黙認しているのか。――この調査の不幸は、歴代のアメリカ大統領の中で、韓国政府や韓国人と一緒になって慰安婦問題で日本を公然と批判した、唯一あるいは初の大統領政権下で結果が発表されたことです。この結果が無視されることになったのは、当然だったといわざるをえません。

大阪三大奇祭3・住吉祭

上映後、デザキ監督のスピーチと質疑応答がありましたが、この時の質問タイムには、何度挙手してもわたしは当てられませんでした。参加者の大半が外国人の上に、日系の監督も英語でしたので、質疑応答も全て英語でしたが、この時間は思いがけなくも、ヴィッカー教授のもとで学んでいるという九大大学院の女子学生が通訳をしてくれました。感謝。質疑応答の概略の理解によると、映画に対する批判らしい批判はありませんでした。

モヤモヤしたまま、「主戦場」も終わってしまったのですが、何とかデザキ監督と話がしたいと思い、出口に向かう監督に声をかけたところ、快く応じてくれました。直接対話では日本語!参加者たちの懇親会場に行く道中に同行させてもらいながら、お店に到着する寸前まで遠慮なく色々質問や感想をぶつけてみましたが、いずれにも誠実に応えてくれました。まさか批判されるとは夢にも思わず、近所のばあさんが聞きにきたのだろうとぐらいに思って、まったく警戒心なしに対応してくれたと思いますので、細々としたことは書かずに、監督への疑問、質問に加え、映画そのものへの疑問や批判も合わせて、以下に列記します。

1.  左派系学者は非常に大勢出演しているのに、右派系論者には学者がいなかったのはなぜかという質問には、秦郁彦氏と高橋○○(聞き取れず)氏に依頼したが、断られたとのこと。お二人以外の右派系学者には当たらなかったようです。

2.  映画では、韓国人慰安婦の証言のみが前提になっていますが、韓国側の唯一の物的証拠である、韓国人管理人が書いた「慰安所日誌」はなぜ映画では紹介されなかったのか。この質問に対しては、その日誌のことは知っていたが、2時間という限られた枠の中では、この日誌を取り上げるのは無理だったからとのこと。取捨選択の基準を変えるべきだったのではないですかと再度尋ねたが、答えは同じ。

3.  映画の後半は、安倍総理の改憲批判がテーマになっていましたが、安倍総理と日本会議との非常に強い結びつきから、安倍総理は、日本会議が提唱しているという明治憲法の復活を企んでいるとのことを繰り返し紹介し、日本会議批判⇒安倍総理批判という図式での批判がかなり長い時間続きます。日本会議は明治憲法の復活を狙っている=安倍総理の狙う憲法改正も明治憲法の復活だとの印象を強烈に与える展開になっています。

青森県・八戸三社大社

そこで監督に尋ねました。自民党の憲法改正草案ご覧になったことはありますか。どうやらご覧になったことはないようですが、安倍総理のみならず自民党員全員が日本会議の会員で両者は一体化しているので、安倍総理や自民党の憲法改正は必ず日本会議の憲法と同じになるとの解釈を披露されていました。

わたしはこの時点では、日本会議は教育勅語を礼賛していたのを見たことがありますので、日本会議が明治憲法の復活を企図しているというデザキ氏の指摘や映画の主張もありうるかと思っていましたので、自民党の憲法草案は明治憲法とは全然違うということを指摘しただけでした。しかし今これを書きながら、念のため日本会議の新憲法草案(平成5年5月3日公表 平成13年2月11日 改訂)を確認したところ、リンク先にあるように、明治憲法とは全く異なっており、「元首」という位置づけが明確化されてはいるものの、基本は象徴天皇制を維持することが明記されています。

当然のことながら現行憲法の9条は改正され、国軍保持が明記されていますが、ざっと見たところ、新たに加わった条文もあるものの、現行憲法が大幅に変更されているようには思われません。今ここで、日本会議の新憲法草案を詳しく検証する暇はありませんが、明治憲法とは全く異なることだけは明らかです。

日本会議を巡ってはその憲法草案を知らないまま、監督の主張を一部認めながらかなりやりとりしたのですが、明治憲法とは全く異なる日本会議の憲法草案を初めて目にした今、非常な衝撃を受けています。デザキ監督は、パソコンやスマホを開けばすぐにも分かる事実ですら調べずに、全く事実と異なった大嘘を平然と主張する映画を作り、全国上映を展開する、それほどデタラメ極まりない厚顔無恥の人物であったのか、という衝撃です。彼は、見も知らないばあさんの質問にも真摯に応えてくれていたので、映画の内容や発言に対する批判はあるものの、直接接した全体的な印象は決して悪いものではなく、むしろ好印象を抱いていただけに、この衝撃は非常に大きい。

改憲をめぐる事実を隠蔽した安倍総理批判に加え、数字をめぐる慰安婦問題の無意味化が大胆に映像化されます。慰安婦が手にした高額報酬については、戦地での異常なインフレ率を示したグラフ(おそらく吉見氏が提供したのでしょう。)で無意味化を図りましたが、そういう工作ができない20万人という慰安婦の数や10歳の子供までもが慰安婦にされたという大嘘については嘘であることを、当の慰安婦や吉見教授などの発言で一旦は認めるという大胆な手法が採られています。慰安婦自らが、慰安婦の年齢は上は22歳で、一番下は17歳だと語る場面がそのまま流れます。数については4,5万ぐらいだと指摘する吉見氏の発言がそのまま流れます。

ここだけを見ると、吉見氏などの左派系学者や被害を訴える慰安婦たちの発言は、客観的な事実に基づいているのだと彼らに対する信用度が一気に高まります。そういう効果をいかんなく発揮する一方、これらの映像にかぶせるように、数字の多寡の正否が問題なのではなく、慰安婦という被害者が存在することそのものが問題なのだという趣旨を大書、アピールする映像がどーんと出てきます。というようにこの映画には、様々な手法を駆使して、慰安婦問題に対する批判を無化するしかけが埋め込まれているわけです。

しかも慰安婦は、韓国人だけではないこともクローズアップされています。東京裁判では、白人女性(注・オランダ人)も拉致されて慰安婦にされていたことが明らかにされ、日本軍の罪の一つに加えられているそうですが、韓国人や中国人などのアジア系慰安婦は裁判では全く問題にされていないという。東京裁判での両者の扱いの違いは、人種差別によるものだと批判する一方、この裁判は慰安婦が拉致されたことを証明するものだと、勝者による一方的な東京裁判を基本的には全面的に支持したものになっています。

しかし、戦地になぜ現地住民ではない白人女性が住んでいたのか、という素朴で本質的な疑問はひとかけらも表明されていません。この点も監督に尋ねてみましたが、答はありませんでした。なぜ白人女性がいたのか。言うまでもなく、欧米各国が戦地となる東南アジア各国を植民地にしていましたので、女性や子供も含む家族も当地に住んでいたからですが、欧米諸国の植民地経営は、天然資源の豊富な現地の資源をただひたすら収奪するだけのものでした。日本が巨額の税金を投じて韓国の近代化を進めた、日本の「植民地」経営とは真逆のものでした。

わたしは、発表者(日本語の分かる方)にも監督にも、戦時に派生した問題を検証する場合、アジアにまで及んだ欧米の植民地政策も含めて、当時の世界情勢を踏まえた世界的視野に立った論議は必須ではないかという趣旨の話をしましたが、日本(日本軍)批判がそもそもの目的である人々にとっては、無視すべき提案だったろうと思います。

この映画に関しては、抽象的な批判や監督に対する人格批判は出ていますが、それだけではこの映画の感染力は止められないと思います。面倒でも、彼らの捏造を一つ一つ具体的に明らかにし、国内外に発信する努力は不可欠だと思います。

<参照:葦の葉ブログ「貿易規制騒動」・(1)櫻井よしこさんら保守論客が「被害」 日系米国人のトンデモ慰安婦映画 (2)従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口

この映画の終わり近くに、右派論者として加瀬英昭氏が登場しますが、日本会議の幹部であり、左派系の動きを批判する活動の重鎮でありながら、左派系学者の本(タイトルまでは聞き取れず)に対する感想を尋ねられる場面では、読んでいないと返事。ではと、次にお仲間の右派系学者の本に対する感想を尋ねられますが、ここでも読んでいないとの返事。加えて、自分は怠け者なので他人の書いた本は読まないと言い放って、わははと笑い飛ばしていました。右派論者に対する印象はここで一気に低下。なんていう人物を登場させたのかと、驚愕と衝撃。

加瀬氏がどういう人物なのかとネットで調べたところ、学歴も経歴も家柄も立派、しかもご自身でも何冊も著書を出しておられます。にもかかわらず、なぜあんな反知性的、非知性的、あるいは痴呆的な発言をされたのか。わたしは、昔は右派系の人たちは知性的ではないとの印象を持っていましたが、加瀬氏は、そういう印象を意図的に強化しようと考えているのではないかとさえ思ってしまいました。それほどひどかったわけですが、左派系の方々の反日主義的活動から日本を守るためには、右派系の方々の理論的、理性的な言論活動を通じた地道な努力は不可欠です。

宮城県・金華山龍神まつり

とはいえ、左派系の方々も必ずしも十分には理論的、理性的だとはいえませんね。このシンポの主宰者的立場にあるイギリス人であるヴィッカー九大教授に、イギリス人植民地研究者、アレン・アイルランドの書いた『THE NEW COREA―朝鮮が劇的に豊かになった時代』桜の花出版刊)をお読みになったことはありますかとお尋ねしたところ、読んでいないということでした。このお答えには驚愕しましたが、是非ともお読みくださいとお願いいたしました。

このシンポは、グローバル化が進む日本の大学の、特に、国公立大学で文学部が廃止され、国文科や日本史や東洋史など、専門性が要求される学部・学科が廃止された文系部門における、悲惨な状況を象徴したものだと思いますが、政治家はこの実態をご存じなのでしょうか。こんな受業を受けて学ぶ喜びを感じる学生はいるのでしょうか。

柴山文科大臣は内閣改造が近く、退任不可避となった数週間前、こういう時だからこそ、日韓の大学連携、文化交流をさらに強化すべきだとの方針を示し、即実行に移しました。こうした政策による日韓連携強化が、悲惨な状況を加速させつつあるわけですが、そこまで触れていると、もう一つのテーマである「週刊ポスト」騒動にまでは辿り着けないので、今回はこの問題にはこれ以上は触れません。

3「週刊ポスト」の断韓記事騒動

では、二つ目のテーマ、「週刊ポスト騒動」について。「韓国は要らない」という断韓特集を掲載した「週刊ポスト」が、発売直後から猛烈な批判にさらされ、発行元の小学館は謝罪に追い込まれました。昨年からつづく一連の韓国の異常な行動を受け、日本では、韓国とはもう付き合う必要はない、断交すべし、つまりは「韓国は要らない」という声や主張は途切れることなく紙面やWEBに登場していました。にもかかわらず、なぜ今頃になって突如として、「韓国は要らない」という見出しを組んだ「週刊ポスト」が猛批判を浴びることになったのか。

週刊誌は見出しが大きくて人目につきやすいからなのか。あるいは、「要らない」という表現が余りにもストレートすぎて、韓国や韓国人をまるで物のように扱っているような印象を受けるからなのか。あるいは非常に激高しやすいという、韓国人の特異な精神構造をズバリ指摘したからなのか。

しかし一連の韓国政府と韓国人の日本に対する延々とつづく異様な対応を見て、もう韓国はうんざりだ、もう韓国とは付き合いたくない、韓国は要らないと感じるのは、日本人としてはごく当たり前の反応ですよ。「週刊ポスト」の特集は、そうした社会の空気を反映したものにすぎないわけです。

韓国人が激高しやすいというのは、「主戦場」の冒頭近くに登場する慰安婦と韓国政府高官との対面場面でも、いかんなく証明されています。2015年に、日韓両政府が慰安婦問題の最終決着を図って交わした合意に対して、抗議に訪れた慰安婦と対応に出た韓国政府高官とのやりとりを映した場面ですが、慰安婦の方が一方的に激高して政府を責め立てつづけ、高官が一言言葉を発しようとしても、その一言の発言すら許さず、慰安婦の方の激しい怒りの声だけが一方的に発せられます。話し合いなど全く不可能な、慰安婦による一方的な激高ぶりが続き、高官は結局、一言も言葉を挟むことすらできませんでした。

この場面は、韓国人が激高しやすいということを伝えることが目的ではなく、慰安婦の方がこの合意にいかに怒りを覚えているかを伝えるためのものであるはずですが、韓国人は怒りや不満を激高によって表現する傾向にあることを、図らずも証明したものになっています。この映画は表向きの意図とは異なり、内容的には韓国人慰安婦の方々を支援するために作られた映画でありますので、この映画が図らずも映し出した「激高しやすい韓国人」の姿とは、真実そのものだと思います。

にもかかわらず「週刊ポスト」は、激しい批判に見舞われました。在日韓国人の芥川受賞作家の柳美里氏が、人種差別だと批判された影響も大きかったのではないかと思いますが、日本には現在、250万もの外国人が暮らしています。観光客ではなく定住者です。韓国人、中国人、モンゴル人のみならず、ベトナムやタイやカンボジアなどの東南アジア各国からも、インドからも、ブラジルやペルーなどの南米からも、北米USAからもEU諸国などからも、また数は多くはないものの中東やアフリカからも、世界中から日本にやってきた大勢の外国人が定住して暮らしていますが、「ヘイトスピーチ」や「人種差別」などと批判されるような状況は、韓国人以外との間では一度も起こったことはありません。皆無です。

外国人の方々が日本での暮らしに馴れない間は、ゴミ出しなどでルールを守らないなどが理由で、地域でトラブルになることはありますが、だからと言って彼らに対して「国に帰れ!」などと叫んだという事例は皆無です。また中には殺人や強盗や窃盗などの事件を起こす外国人もたまにはいますが、そういう場合は警察や司法に委ねます。

つまり日本では、韓国人以外の外国人の方々からは、「ヘイト」だ「人種差別」だと批判される事例は皆無です。勤務先で、同一労働なのに、外国人は日本人よりも賃金が安いという不当な扱いを受けるという事例はあるはずですが、これは韓国人が主張する「ヘイト」や「人種差別」とは次元の違う問題です。

日本にはあまたの数の外国人が暮らしているにもかかわらず、なぜ韓国人だけが特異なのか。日本人がついに「韓国人は要らない」とまで思うに至ったのか。韓国の方々は考えたことはありますか。

韓国人は日本から受けた恩義には感謝したことはなく、ただひたすら日本を責め立て、叩きつづけ、日本から何度も何度も巨額のカネを巻き上げることを繰り返してきたからです。

戦前の日韓併合時代、日本が超巨額な資金を韓国に投じ、いかに朝鮮の近代化を進めたかについては、『THE NEW COREA―朝鮮が劇的に豊かになった時代』桜の花出版刊)をご覧ください。また同書には、戦後、日本が韓国に提供した膨大な数の支援リストが付録としてついています。

韓国への戦後支援の大枠としては、周知のように、第1号が日韓請求権協定に基づく無償3億ドル、有償5億ドルの計8億円(当時の韓国の国家予算の2倍)ですが、この時の支援には鉄工所建設(ボスコ)などへの技術支援も含まれていますので、額面の支援額の何百、何千倍にもなるはずです。この8億ドル支援については、韓国批判をする方々も額面しか問題にされていないので、当時の世界最先端の鉄鋼製造技術が、技術者の人材育成も含めて、韓国に無償で提供されたことは特に強調しておきます。ボスコの売上げ総額が、日本からの無償援助によるものだと言っても過言ではないからです。サムスンに対しても同様です。

第2回目が1983年に韓国に対して提供された1兆円です。そのいきさつの概略は韓国の天皇謝罪要求と経済・歴史問題の一体化招いた首相の名(2019/9/11)に書かれていますが、当時の韓国の全斗煥大統領は当初日本に対してこの2.5倍もの支援をふっかけてきましたが、政権をまたいで値切り交渉を続けたものの決着がつかず、中曽根総理が就任直後に「1兆円+アルファ」で決着させました。上記記事には「+アルファ」の部分は書かれていませんが、この部分は日韓の事務方間で話を進め、日本から無償の技術支援を提供することで決着しました。

この部分は官僚任せで、おそらく政治家はほとんどご存知ではないはずですが、この支援に関わった技術者がその体験をまとめた原稿が弊社に送られてきましたので、当時の技術支援の一端が分かります。

第3回目が、村山内閣で設置された、アジアの慰安婦の方々を支援するためのアジア女性基金。民間からの寄付と政府支出による基金ですが、韓国人には一人につき、民間寄付から200万円と政府支出による医療・福祉支援300万円の計500万円が支払われたが、200万円は一部の人しか受け取られなかった。この女性基金には解散までに計48億円の税金が投じられたという。慰安婦への医療・福祉支援は総計5億1200万円。(外務省・慰安婦支援

第4回目が、サハリンで暮らしていた韓国人への80億円の支援です。そもそもなぜ日本は、サハリンに住む韓国人の支援までしなければならないのか。

2005年6月20日、21日に小泉総理は訪韓して盧武鉉大統領と会談し、サハリン残留韓国人や在韓被爆者支援やその他の日本統治時代に起因に諸々の問題に人道的観点から可能な限り支援すると表明したという。小泉総理自らが日韓請求権協定を完全に無視したわけです。(この小泉訪韓記事は外務省のHPに掲載されていましたが、今では削除されています。小泉元総理の外交では、2回に渡る北朝鮮訪問関連資料も消滅させられており、その詳細は不明だという。しかしマスコミからも野党からも批判は皆無。)

第5回目が、安倍内閣での慰安婦基金の10億円です。

他にも、広島や長崎で被曝したという韓国人には、今でも毎月、その症状に応じた支援金が支給されています。(被爆者各種手当て―日本人も外国人も同額)また、アジア通貨危機時の韓国の危機を救ったのも、1兆円というスワップ協定による日本の資金によるものでした。

以上、日韓政府間交渉によって、日本から韓国に提供された支援の大枠を紹介しましたが、これだけ支援しても韓国は日本に感謝したことは皆無です。それどころかこれらの日本からの支援を隠蔽し続け、日本を責め立ててもっと寄越せと叫び続けています。事実を隠して平気でウソをつくというのが、韓国では伝統的な国策にさえなっているわけです。「日本書紀」(720年)にも、彼らの祖先は全く信用できないと書かれているほど年季が入っていますが、事実を明らかにすると、日本を責め立てて日本からカネを巻き上げることができなくなるからです。

日本のマスコミの大半も韓国のこの国策に協力して、日本からの度重なる支援についてはほとんど報道していません。それどころか、日本のマスコミの一部や主流の識者たちは、もっと韓国を支援しろと、今現在も日本政府を責め立ててつづけています。その上歴代政権も、日本からの支援を公にはしたくないとの韓国政府の意を受けて、支援の具体的な内容はもとより、支援そのものも積極的には公表していません。

しかし、これは余りにも異常すぎませんか。法的取り決めをも完全に無視する韓国に対して、われわれ日本人はどう抗すべきなのか。もう「韓国は要らない」という以外に何か発すべき言葉はあるのでしょうか。

4小泉進次郎氏入閣への危惧

なお昨日、内閣改造人事が発表されました。この改造人事の最大の目玉は小泉進次郎氏の入閣だということですが、滝川クリステルさんとの電撃結婚発表やお子さんの誕生間近というおめでたニュースの余韻覚めやらぬ時期での入閣、新しい安倍政権にとっては人気浮上にはプラスになりそうですが、わたしには、今なお父親純一郎氏の強い影響下にある進次郎の入閣にはいささか危惧を覚えています。

昨日、金融庁がかんぽ生命保険の不正問題の調査を開始しましたが、民間でもありえぬほどのあくどすぎる勧誘手口、新規開拓客ではなく長年の顧客を騙すという、信じがたい非道が大々的に行われていたというこの事件は、純一郎元総理が「郵政民営化なしに日本の成長なし」として断行した郵政民営化にその淵源があることは明白です。が、この事実についてはマスコミは全く報道していません。

郵政民営化のみならず、小泉構造改革はそのことごとくが日本社会の破壊を促進しただけだとのことは、事実が証明していますが、日本では、重要な外交文書の破棄の隠蔽に見るように、小泉批判はほとんどタブーに近い扱いになっています。それどころか、小泉親子は一種のスター扱いにすらなっています。

色々いきさつがあったらしいとはいえ、首相官邸前での結婚発表。政治家は「私=公」的な環境に置かれているとはいえ、自分は並の政治家ではないと言わんばかりのセッティング。これには違和感を覚えたは人は、わたしも含めてかなりいたはずです。確かに進次郎氏は、超特別扱いで父親の地盤をそっくり引き継いで国会議員に選出されています。当時、純一郎総理は、世襲議員排除策を掲げ、自民党議員に対し、親や親族の地盤からの出馬を禁止しましたが、自分だけはこの決まりには従わずに、息子進次郎氏にそっくり引き継ぐことを宣言し、実行しました。

しかも自民党からもマスコミからも、この身勝手さへの批判は皆無。今ではこの世襲議員出馬の禁止は廃止されているはずですし、なぜか選挙民には猛烈に人気がある進次郎氏ゆえ、仮に選挙区を変えてもおそらくトップ当選するだろうと思われるとはいえ、我が身内にだけは特例扱いが許されるという、小泉家のみの特権待遇がこの先も続くとすれば恐ろしい。

さらにわたしが危惧するのは、進次郎氏が就任した環境省大臣というポストです。環境省は原子力規制委員会を傘下に置き、諸々の原発事業をも所管する役所です。純一郎氏が熱心に反原発活動を展開しているのは周知の事実ですが、進次郎氏を介して反原発活動を利する資料がひそかに流出するおそれがあるのではないか心配しています。小泉政権下では、日本の総理大臣の初の北朝鮮訪問という、重大な外交関連資料すら全て消されるという国家犯罪が行われていた訳ですから、原発関連資料の流出ぐらい朝飯前ではないかと思われます。

さらに小泉親子は親韓政策を採用していることでも共通しています。韓国は今、日本で行っている原発廃炉事業を国際化せよと日本に求めていますが、これは原発廃炉技術を無料で韓国に提供せよとの要求にほかなりません。進次郎氏は韓国のこの要求に従うおそれがありますので、安倍総理はじめ日本国民が監視しつづける必要があります。

新内閣発足時に、進次郎氏批判を展開して申し訳ありませんが、韓国は3.11震災勃発と福島原発事故発生直後から、民主党政権を介して、日本の原発事業の取り込みを種々画策してきましたが、その動きは今なおつづいています。韓国によるさらなる日本侵食を防ぐために、事が起こる前に警告をさせていただきました。 ‘

というような危惧を書かせていただきましたが、華やかな美男美女のできちゃった婚発表には、一瞬にせよ、日本中が明るい気分に包まれたのも確かです。お二人の末永いお幸せとお元気なお子様のお誕生を心からお祈りしております。合わせて、近々パパになられる進次郎氏が、純一郎パパから政治的に完全に独立されることも心からお祈りしております。

世界の異常気象と日本」より一部転載(9/29)

最後に、前回の「主戦場」とデザキ監督に若干補足いたします。

1 いわゆる左派系として出演していた元日本軍兵士の松本栄好氏は、日本憎しの思いからか、「日本では女性には人権はなく、人間以下の扱いを受けていた」という趣旨の発言をしていましたが、これは事実とは全く異なります。

国の近代化を目指した明治政府は、試行錯誤を繰り返しながらも国民皆学を目指して教育制度を確立していきましたが、義務教育は男女平等。中高等教育も女性の特性を強調した面はあったものの、官民ともに女子教育にも力を入れてきました。歴史を遡ると、日本では奈良時代から女性の相続も認められていましたし、女性の戸主も認められていました。万葉集には女性の歌もいくつも収録されていますし、平安時代のような女流文学の隆盛は世界に例はなく、女性が自由に学問をすることが認められていたことを証明しています。江戸時代でも女性が旅をしたり学問や文芸に親しむことも一般的でした。農家の女性も歌を詠み、日記をいくつも書き残しているほどです。

確かに戦前は家父長制度があり、家長(父親・夫)の力が強く、女性は家長に従うという道徳的縛りはありましたが、社会的に女性が虐げられていたわけではありません。明治、大正、戦前の昭和の各時代にも、女性の作家、画家、学者や実業家など、社会的に活躍した女性は多数います。左派系の人たちの言動は余りにも粗雑すぎますので、一言書き添えておきます。なお、この問題もデザキ監督には伝えております。

2 慰安婦や徴用工などの問題に絡み、日韓基本条約以降も、日本政府が韓国に対して兆単位の支援をしてきたことを紹介しましたが、その中で、小渕総理の時代の日本からの支援を書き忘れていましたので、補足します。

小渕時代の1998年10月、韓国の金大中大統領との間で日韓共同宣言が出され、両国の関係強化が図られましたが、小渕総理は戦前の日本による韓国統治に対する謝罪を表明するとともに、韓国に対する新たな支援も申し出ました。

・韓国側の要求に沿った日韓漁業協定を締結し、日本の好漁場を韓国に提供

・サッカーワールドカップの日韓開催に向けて、韓国に日本の資金でサッカー場を建設。

・韓国のインターネット環境を整えるために日本の技術と資金を使って、ネットワークシステムを構築。

日韓の関係が良好に見える時は、必ず日本からの過剰な支援がなされているという事実が、小渕元総理の日韓外交からも明らかです。

目下の日韓関係の悪化を受けて、良好な日韓関係を築いた小渕総理を引き合いに出す識者もいますが、その背後にある貢ぎ物外交の事実には全く触れていません。ただ前回も指摘しましたが、韓国に対する日本からの貢ぎ物は、ほとんどその中身は公開されないので、日韓双方の国民はもとより、当の被害者だという慰安婦たちも知らないままだという現実があります。国内外に公にされたのは、2015年のこれで最後となるはずだった10億円基金と、村山総理時代のアジア女性基金として出した一人500万円のうちの、200万円(日本国民の寄付による償い金)だけです。この時日本政府(村山内閣)が医療・福祉費用として出した、一人300万円は慰安婦の方には一銭も渡っていないはず。当然、知らされてもいない。また、今も日本政府からの支給が続いている韓国人被爆者への支援金も被爆者には渡っていないはず。サハリン在住の韓国人支援金80億円も、ごく一部しか当時者にはわたっていないはず。

戦前の日本による韓国人植民地被害問題は、韓国政府やその支援者が被害者を食い物にしてきたという恥ずべき事実をこそ問うべきではないでしょうか。韓国政府から、徹底して被害者意識をたたき込まれてきた韓国人はほんとうに哀れだなあと思わずにはいられませんね。日本人も韓国人の余りにも異様な要求や行動には怒りを覚えていますが、韓国製品に対する不買運動は個人的に実行している人はいるでしょうが、韓国のように社会的な動きとしては未だかつて起こったことはありません。近年は韓国産の食品類が多種類にわたってかなり増えていますが、騒動の前も後もスーパーの売り場には変化はありません。一斉に不買運動に励む韓国人は、われわれ日本人とは全く異質だと感じざるをえません。おそらく北朝鮮に近いのでは?

3 関連してもう一点。中曽根元総理が、当初100億ドルの支援を求めてきた全斗煥大統領の要請に対し、40億ドル+アルファで決着した件ですが、その顛末は在韓国日本大使も務めた元外務官僚の小倉和夫著『日韓1兆円資金』(講談社)に詳細に綴られています。小倉氏は100億ドルとは書かずに1兆円と記し、値切った金額も40億ドルと記さず4000億円と記しています。ドルと円とでは桁が違ってきます。

どちらが正しいのか、前回は不明でしたので、多々示唆を受けたものの小倉氏の著書には触れませんでしたが、外務省の公開資料にもドルと記載されていました。外交交渉時の金額はドルがベースのはずですので、やはりドルが正しいわけですが、小倉氏がなぜドル表記をしなかったのか、あるいは円換算するにせよ、交渉当時のレートで円換算しなかったのか、その理由は不明。1兆円でも巨額ですが、ドルとなると、その額の余りの巨大さに卒倒しそうです。

話題は関連しますが、あいちトリエンナーレ騒動についても一言。国からの補助金が停止されたとのことで大村知事は国を提訴するそうですが、そもそものところに戻るべきだと思います。この騒動では津田大介氏だけがスポットを浴びていましたが、このイベントを津田氏とともに企画し、推進した「表現の不自由展実行委員会」のメンバーを知って、それこそ卒倒しそうになりました。

JBPressに掲載されていた伊東乾東大教授の、アーティストのいない「失敗トリエンナーレ」ダメ見本として教科書に載せるべき「表現の不自由展その後」

で紹介されていたのですが、以下の5人の方々です。

・岡本有佳(編集者)

・アライ=ヒロユキ(美術評論家)

・小倉利丸(富山大学名誉教授・経済学者・評論家)

・岩崎貞明(元テレビ朝日司法担当記者・専修大学特任教授)

・永田浩三(元NHKチーフプロデューサー・武蔵大学教授)

美術関係者は、美術評論家だというアライ=ヒロユキという奇妙な名前表記のお一人を以外は、全員美術や芸術には無縁のお仕事をされてきた方ばかり。しかもマスコミ出身者が2名もいます。芸術祭のための顔ぶれではないのは一目瞭然。こういうメンバーに芸術祭開催の一切を委託した大村知事の責任は非常に重い。国を提訴するのはお門違いも甚だしいと思いますね。こんな騒動に7200万円もの国税を投入するとは許しがたいです。開催したいのであれば、県民の了解を得て、県の予算を当てるべきですよ。県の予算を使うのであれば、大村知事ももっと開催には熟考を重ねたはずですが、国からポンと7200万円も出るというので、騒動を狙った連中の好きに任せたのでしょう。

伊東氏は「アスリートのいないオリンピック選手団があるか?」と問い、「素人の、素人による、素人ための官費の無駄遣いが必然的に失敗した」「あまりにも稚拙で、そもそも『表現がどうした』とかいう水準に達していません。」と手厳しく批判されています。津田氏をはじめ、5人の委員の方々と大村知事もとくと反省すべきではありませんか。この騒動は、日本の現在の芸術の水準の低さをさらけ出したと思いますよ。

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