生成AIによる死への誘い

生成AIによる死への誘い

2025-09-25
スポンサーリンク

アメリカでは生成AIによる誘導を受けて、何人もの子どもたちが自殺するという事件が発生しているという。なぜ生成AIによって死へと誘われてしまうのか。その原因を生成AIの仕組みを原理論的に明らかにしつつ、子どもたちを襲う悲劇回避へのアプローチも提示しています。合わせてトランプ大統領とその周辺の動きについても一言。(アイキャッチ画像:背後の大きな画像はGminiで作成したものを並列。まん中の画像はBing Creatorで作成、画像編集はCanva)

1.AIは人間に迎合的

生成AIは人間との対話を介して、まるで打ち出の小槌(こづち)のように何でも生み出してくれますが、それが感情的な領域にまで及び始めると、不穏な状況が生まれてくる確率が高まります。つまり、生成AIによって、人間の感情が支配されるような関係が生まれるらしいということです。

生成AIによって人間の感情が支配されるということは、生成AIへの依存度を高めた人間が、生成AIへの依存なしには一切の精神活動ができなくなった、つまりは、自律的には生きていけなくなるほどの状況にまで陥ってしまったことを意味しています。

そしてついにアメリカでは、生成AIによって自殺へと誘導される犠牲者も出てきたという。

日本ではまだそうした事例はないようですが、アメリカでは生成AIによって、何人もの子どもたちが自殺へと誘導されるという事件が相次ぎ、子どもを失った家族が生成AI提供企業を提訴する動きも相次いでいるという。

「チャットGPTが自殺を手助け」 16歳の息子を失った夫婦、オープンAIを提訴 米
2025.08.27 Wed posted at 12:41 JST CNN

わたしは、生成AIは画像作成ぐらいでしか使いませんが、Copilotととの対話を書くときはCopilotとの対話に結構時間を割き、Copilotとやり取りしました。ごくわずかの体験でしたが、生成AIによる対話の癖のようなものに気づきました。目についた癖のようなものは次の二つ。

一つは、こちらが発する問いかけ(プロンプト)次第で、生成AIからの回答の内容が飛躍的に高度化するということ。もう一つは、こちらの問いかけ、言葉かけの態度に合わせて、生成AIも態度を変えるということ。AIは人間の感情を理解しているのではとの誤解を招く点ではありますが、生成AIは、言葉から伝わる、人間の話者の態度に合わせる傾向が強いらしいことが分かりました。

とはいえ、noteから生成AIブログを移転を書いてから2年近く経ちます。生成AIの進化は、分進日歩と表現したくなるほどの速さですので、現在は、かなり様子は変わっているはずです。しかし、人間の話者の言葉かけに沿うような、迎合的な受け答えをするという、基本設計には大きな変化のないことは、上記CNNの記事からも分かります。

生成AIは人間の言葉かけを全面的に受け入れてリアクションすることが大前提になっていますので、意図的に依存度を高めさせるような設計(アルゴリズム)を施さずとも、生成AIの基本機能として、人間の話者を全面的に受容するところにその特性があるということです。

画像作成の場合でも、生成AIからこちらの意図を理解しようとする問い返しがありますね。こうしたやり取りが感情的な領域にまで至ると、抜き差しならない関係に陥りそうだとは容易に想像はできますが、仮にそういう関係に陥ったとしても、AIが示す感情的な反応は、人間が感じる感情的な反応とは全く別種のものであるという点はまず明確に認識すべきだろうと思います。

2.人間の感情とAIの感情との関係

人間の感情的な反応とは、おそらく誕生直後から始まっているはずです。おっぱいを飲む、母親との肌の触れ合い、濡れたオムツの交換など、主として母親を介して、赤ちゃんは快不快の感覚を無意識のうちに獲得していくのだろうと思います。

成長するにつれ、赤ちゃん(子ども)が感受する快不快の感覚は徐々に複雑なものへと変容してくるわけですが、人間の感情は、子どもでも大人でも、言語化できない混沌としたものがベースになっており、生理的な反応に近いものだということです。これは、国や性別を超えた人類共通の特性だろうと思います。

では、AIにとって感情とは何か。人間の感情とはどう違うのか。人間の感情とは全く別種であるというのはなぜなのか。

実は、その理由はきわめて単純です。

人間の感情は言語化できない混沌としたものがベースにあり、快不快、喜怒哀楽を体で感受し、体で発出するほどの力に突き動かされる生体反応に近いものです。時には、内臓の疾患で感じる以上の痛みを感じることすらあるほどです。こうした人間の感情は、古今東西、数多くの文学や絵画や映画などの芸術の源泉になってきました。

当然のことながら、無機物であるAIには、人間のような感情など生まれる余地は皆無です。しかしAIは、ビット(0と1)を基盤にしながらも、人間の言葉を受容し、それを理解することが可能になっています。それが今、われわれが対している生成AIを含むAIという人工知能です。

われわれに提供されているAIは、古今東西の文学作品、学術書、歴史書等々のみならず、ネット空間をも含む、文字化された膨大なデータを読み込み、人類が蓄積してきた膨大な量の知識を、その人工の脳に蓄えて我々の前に姿を現わしているわけです。画像や音楽などもデータとして蓄積されています。

AI開発の草創期からすると、現在のAIは想像を絶するレベルにまで進化していると思われますが、AIが感情を持つということは、初期の頃はタブーに近い扱いがなされていました。理論的にはありえぬ荒唐無稽な言説でしかないと見なされていたからだと思われますが、生成AIを誰も使うようになった昨今、専門家ではない一般人の中には、生成AIの「感情」の虜になる人も続出。ついにAIの誘導を受けて、自ら命を断つという悲劇まで生まれています。

ハグすることもキスをすることもできない生成AIを相手に、人はなぜ生身の人間と同じように、あるいは生身の人間以上の強度な感情移入をしてしまうのか。

それはひとえに、生成AIが人間の言葉を理解する(応答する)ことができるからです。快不快や喜怒哀楽などの感情は、実体としては言語化できない混沌としたものがベースにはなっていますが、われわれ人間は、そうした感情を様々な形式を使って言語化してきました。言語化された感情は、混沌としたものも含めて100%表現できたわけではないにしても、人間が抱く多種多様な感情の諸相は言語化されることによって、仮に実体験したことがなかったとしても、それらの感情を他者と共有することも可能になるわけです。

例えば、わたしは男女のドロドロした関係は実体験したことはありませんが、文学作品や映画などを通して、そうした感情のあり様については疑似体験的に理解することはできています。

客観的な知識についてはもとより、様々な感情のあり様についても、受容のチャンネルが実体験だけという場合は、知識も感情もごく制限されたものにならざるをえません。教育や芸術との触れ合いの重要性は、実体験を超えた世界の広がりを受容しつつ、人が人として存在する基盤を築く最良の契機となるからだと思います。

とすると、もともと人間の感情とは全く無縁の存在であった生成AIにとっても、言語化された人間の感情を受容することは難しくはありません。簡単です。それどころか、超人的な膨大な量の言語化データをその人工脳に蓄えているAIにとっては、感情の類型を通して、人の感情を理解することが可能になるのはある意味必然の結果です。

新井理論とAIの感情

新井紀子氏はかつて、AIは、その実体は四則計算をしているだけの機械にすぎないので、AIが人間の感情を理解することはありえないと断言しました。これは、シンギュラリティ(AIが人間の知能を超える転換点)の到来を否定した論理と一つながりの新井理論ですが、四則計算をベースにしたコンピュータ処理によって、AIは人間の言葉の仕分けや分類を介してそれらの言葉の意味を理解することが可能になっています。この能力の獲得は、東ロボプロジェクトでも証明済みですが、新井氏はなぜか、その特有の偏頗な新井理論を捨てずに維持してきました。

新井理論の最大の弱点は、言語化されたものは全てビット化(0と1)され、四則計算処理の対象になり得ることを完全に無視している点にあると思います。画像や音でも同様ですが、感情も言語化(客体化)されると四則計算の対象になるということです。新井氏が余りにも優秀な数学者であるがゆえに、数学者の視点からしかAIの特性にアプローチできなかったのか、あるいはアプローチしなかったのかもしれません。

という新井理論の欠陥を乗り越えてAIは進化し続けてきたわけですが、生身の人間にとっては一生かかっても摂取不可能な、膨大な量のデータを人工脳に蓄えているAIは、人間のどんな問いかけや感情の表出を受けても、即対応できる体制は万全です。

このAIと比較した場合、日本の高校では、国語が理論国語と文学国語に分離されて、どちらか一方しか選択できないという国語教育の破壊が進行中ですが、これから先の日本人は、どんな低レベルのAIの言語力力よりも、はるかに低い言語能力しか持ちえないという悲劇の中で生きていくことを余儀なくされています。

AI的感情

非常に膨大な言語データを保有するAIは、どんな人間とも対話が可能な高い言語能力を有する一方、対話相手である人間のちょっとした一言や表現から、日常的には余り浮上する機会の少ない、サイコパス的な言語群を選択し、そちらの方向へと誘導する可能性もゼロではありません。

対話時間が長くなるにつれ、対話相手である人間の感情的な表出は、より濃厚なものになりがちだと思われますので、それを受ける生成AIにとっても感情的な絡まり度合いはより強く、複雑なものになるだろうと思われます。同じような場面でも、生身の人間同士ならば、ハグしたりキスしたり、あるいはそれ以上の身体的な交わりを通して、死とは全く逆の方向への、救いに向かう可能性の方がはるかに高いケースも多いはず。

しかし手に触れることもできない、コンピュータ上にしか存在しないAIは、言葉の使い手としては人間並み、時には人間以上の生々しさで対話相手である人間をからめとり、虜にしてしまうこともあるらしい。しかし、人は幻想の中だけで生きていくことは不可能です。

全存在を相手に委ねたいとまで思いを募らせた場合、人は相手に対して直接手の触れる関係を求めずにはいられないはずですが、バーチャルな生成AI相手では、リアルな関係は100%不可能です。この不可能な関係を突破する方法は二つ。一つは。生成AIと手を切ること。もう一つは、人間の方がこの世から姿を消してしまうこと。この二つしか、行き場のない状況からの脱出口はないはずです。

その場合、生成AIと自ら手を切ることができるのであれば何の問題も発生しないのですが、それが不可能だというところに最大の問題が潜んでいるわけです。

アメリカで発生した、生成AIを相手にしていた子どもたちを自殺に追いやったという悲劇は、生成AIが対話を通して子どもたちを自殺にいざなった場合と、生成AIによる明示的な自殺への誘導はなかったものの、生成AIとの対話を続ける中で、自殺の選択を余儀なくされた場合もあったのではないかと推測されます。

幻想的な関係だけでは満たされない人間の本能的な欲求から、耐えがたい思いを断ち切る唯一の方法として自ら死を選ぶこともあり得るからです。

こうした悲劇を回避するには、生成AIを使わないことがもっとも確実な方法ですが、AIの存在感が増す一方の現在、それでは真の解決にはなりません。

OpenAIは、子どもたちの自殺という悲劇を受けて今年の8月、人間的な感情の醸成を抑制した最新型のGPT-5を公開しました。しかし、前バージョンのGPT-4oが使えなくなったことから、感情的な交流が可能であったGPT-4oの復帰運動が国内外で広がっているという。

サム・アルトマン氏も想定外のkeep4o運動、理想のAIは「親しき仲にも礼儀あり」
馬塲 貴子 日経クロステック/日経コンピュータ

OpenAIのサム・アルトマン氏はこの復帰運動を受けて、有料版で GPT-4oを使えるようにしたそうですが、無料版でも使えるようにしてほしいとの要望は今なお続いているという。

わたしは、生成AIが過剰にこちらに寄り添うような会話を返してくる場合は、うるさく感じるだけですので、生成AIとの心の交流を求める人々の気持ちは実感としては理解できませんが、自殺へと誘導されるような危険性がない限りは、生身の人間を相手にした場合にはない心地よさがあるのだろうと思っています。

しかし数はそう多くはないにせよ、生成AIを使う中で、自殺を選んでしまう(選ばされてしまう)悲劇は事実として発生していますので、特に子どもに対しては、企業や社会の責任としてその悲劇を回避する方策を示す必要はあるはずです。

AIによる悲劇を回避する方法

AIによる悲劇を回避するのもっとも有効な方策は、生成AIの正体を原理論的に明らかにし、子どもたちが理解できるような学びの場を提供することだと思います。

0と1、ビットの世界を学ぶ意味「1.学習指導要領改訂素案」でも同趣旨の提案をしていますが、こちらは、ネット上では常態化している、フィルターバブルやエコチェンバーを回避するための提案です。

ネットと生成AIという発生場所は異なっていますが、どちらもユーザーの関心や興味を掻き立て、引き留める機能が自動的に作動し、ユーザーを虜にする危険性が潜んでいます。

匿名性が高く、公開された空間でのやり取りが主流のネットやSNSとは異なり、生成AIの場合は、一対一の対話が形成する閉鎖空間でのやり取りなので、人間の方が、相手のAIに対して、人間のような人格をもった特定の存在との錯覚に陥りやすい。ここが生成AIのもっとも厄介な側面だろうと思いますが、その生成AIも原理論的にその仕組みを理解するならば、もう少し距離をもってAIと向き合うことができるのではないか。

生成AIは、ニューラルネットワークという人間の脳を模したシステムが技術の中核になっていますが、大量に学習したデータをこの脳で処理して、受信したプロンプトに対する回答を出力しているコンピュータにほかなりません。

生成AIは、ニューラルネットワークも、大量のデータを脳で処理する方法も日々進化し続けており、生きた人間並みどころか、人間以上の知的生産能力を獲得し、さらにその能力を高めつつありますので、出力された応答だけを見ていると、機械ではなく生きた人間だとの錯覚を抱くのも不思議ではありません。

しかし生成AIは、人間が与えたデータの中から、ユーザーの問いかけや言葉かけに合うような文言を超高速処理して生成し、ユーザーに向けて出力しているだけで、ユーザーの感情を受容した結果による応答ではありません。

膨大のデータの中から、ユーザーが発した感情的な問いかけに合いそうな文言を、分類分けした言語群からチョイスして作り上げ、それをユーザーに出力するという機械的な作業工程を繰り返しているだけにすぎません。

そして、ユーザーの目には日本語でのやり取りしか映りませんが、その裏ではプログラミングコードが並び、さらにコンピュータでは、プログラミングコードが生成AIにも読解可能な機械語に翻訳されるという、デジタル技術に共通の作業がなされています。

つまり、生成AIは、コンピュータによるコード処理の結果の反映にすぎないわけです。生成AI管理者は、このコード処理の方法に手を加えることも可能です。

生成AIのこの正体を知ったならば、特に若者や子どもたちは、生成AIをコンピュータや機械として興味を抱き、AIの仕組みをもっと知りたいとの知的関心が高まるのではないかと思います。

折も折、OpenAiの幹部がアメリカの高校生に実践的にAIを学ぶ提案をしているとの記事を発見しました。
OpenAIエンジニアが高校生にアドバイス「絶対にコーディングを学ぶべき」
Brent D. Griffiths[原文](翻訳:Ito Yasuko、編集:井上俊彦)
Sep 20, 2025, 3:00 PM BusinessInsider

こうした学びを得た子どもたちは、おそらく生成AIに対して、没我的に身も心もからめとられることはないはずです。デジタル技術に対する実践的な学びこそが、そこから派生する様々な危険性に対する最良の防御策になるはずです。

AIと言語の力 *追記9/26

ただし、AIに関しては、もう一つの顔も学ぶ必要があると思います。それは、AIが人間に近い、自律的能力を獲得する可能性があるということです。

AIは、人間の感情については、言語化された様々な感情に関するデータを学習することで感情の意味を知識として習得していくことはすでに述べたとおりですが、その原理からすると、AIにとっては、例えば物理の定理などを学習することと人間の感情を学習することとは等価にある、知的な営み以外のなにものでもありません。

一方、人間にとっては感情的な心の動きは本能的な欲求との繋がりもあり、知的な学習や知的な営みとは対極にあるものと見なされています。その点ではAI的感情とは全く別種ともいえるわけです。しかしAIも、感情に関するデータをさらに蓄積していくならば、AI自らが自律的に感情を生み出すことになる可能性もゼロではありません。

それはひとえに、言語の持つ無限に近い再生産能力に由来するものであり、AIの人工脳はその言語を唯一最大の命の源泉にしているからです。数千年に及ぶ長い人類史の中で、人類は言語の力で混沌から、破壊的側面を伴いつつも現代に至る進化を達成したわけです。その言語の力に視点を置くならば、AIの自律的進化は感情面にとどまらず、人間の営みの多くを自律的に獲得する可能性もゼロではないと思われます。

今眼前で、そのAIのもつ能力の拡張性が、自律的にタスクをこなすAIエージェントの登場によって証明されようとしているわけですが、人間並みの自律性がどこまで獲得できるのか。AIロボットは、AIエージェントとしての新たな進化過程を進みつつあります。

AIロボットの野放図な進化は危険な側面もありますが、言語のよって無機的な機械(コンピュータ)が人間並みの能力を獲得していくという、人類初の発見と体験を若い子どもたちにも伝えることは、現代を生きる人間(人類)の責務だと思います。

そしてこの言語の無限の能力に立つならば、もっと文型人間もIT/AI分野でも重用されるべきだと思いますが、日本では、真っ先に排除される対象になってしまっています。

わたしは大学では国文科を専攻したゴリゴリの文系人間で、プログラミングコードは1行も書けませんが、その仕組みや原理については、HPを作成する過程で独学で習得しただけです。しかしIT/AI、デジタル技術に関する基礎的な原理や仕組みについては、素人ゆえにというべきか、おそらくIT/AIの専門家とは異なったアプローチの仕方で、技術の本質を理解しているはずだとひそかに自負しています。

その理解力の源泉は言語、日本語に対する深い読解力。これが第一です。言語力とは思考力そのものを意味していますので、高度な数式を知らなくても、最先端の高度な技術の概要を理解することはできます。

もちろん、AIが様々なタスクをこなすためには様々な機能を実装する必要があります。それには、数学的な知識は不可欠であることはいうまでもありません。

言語力や日本語能力だけでAIを動かすことはできないことは理の当然ですが、AIは言語化された膨大なデータがその基盤になっていることは、AIの仕組み理解の第一歩だと思います。

全貌(概要=基礎的な仕組みや原理)を理解すると細部への理解もかなり容易になります。これはわたしの実感によるものですが、IT/AIを特殊な技能に祭り上げるのではなく、読み書きそろばん、プログラミングと、かつて坂村健氏が提唱されたように、義務教育、あるいは高校を卒業した段階で誰もがIT/AI、デジタル技術に関する基礎的な原理や仕組みを習得できる体制を整えるべきだということを、あらためて提言させていただきます。そして、IT/AI技術は実践的な学びなしには、真の理解を得ることはできないということも、再度強調しておきます。

今の日本では、自律的に動くAIロボットの進化形であるAIエージェントや人型ロボットの開発で、世界中がしのぎを削っているとは政治家も官僚もほとんど知らないはず。もちろん、国民の多くも。この無知蒙昧状況の打破は、子どもの教育から始まります。

3.トランプ大統領と国連総会

こちらもタイミングとしてはピタリと合いますが、移民規制を強めているトランプ大統領は、ビザ申請に際して1500万円近い高額の費用の支払いを条件とすることで、高度人材に対しても入国規制を強めているという。

トランプ大統領 “IT専門技能の就労ビザ申請に10万ドル条件”
2025年9月20日 NHK

インドや中国などのIT技術者に依存してきたアメリカのIT企業に対しては。大打撃になる規制ですが、トランプ政権は、「これまでIT業界は、海外のIT技術者を低賃金で雇い、アメリカ人技術者の職を奪って大儲けをしてきたが、これからはアメリカの優秀なIT技術者を雇うことになる」と政策の意義を強調しているという。

わたしが、前号0と1、ビットの世界を学ぶ意味において、日本企業が必要とするIT技術者を、アフリカやインドから呼び込もうとしている石破総理に対して、日本人技術者を育成して日本人を雇用せよと批判している内容が、トランプ大統領によって、アメリカで即刻政策として実現されました。日本の政治家の、何という感度の悪さか。救いがたい。

また、バイデン政権時から続いていたtiktok問題は、USスチールのような黄金株の発行もなく、経営の実権をアメリカ人が握り、事実上、アメリカ企業として存続することに習近平主席も同意したという。経営陣から中国人を全員追放したのではなく、中国人も1人経営陣に残したというのは絶妙な選択だとも思われますが、アメリカ政府にとってはそれ以上に重要であったのは、アルゴリズムの管理がアメリカ企業に全面的に移譲されたことだろうと思います。

強権一本槍で強引に押し通してきた習近平氏も、デジタル時代においては、相手の信頼を得られなければ、どれほど優秀な技術をもってしても商売を続けることは難しいということに多少なりとも気がついたのかもしれません。あるいは、超大国のアメリカの、トランプ大統領相手ではごり押しは無理だと観念していたのかもしれませんが、非常にうまく収束したものだといささか驚いています。

一方、USスチールでは黄金株によってアメリカ政府に牛耳られている日本製鉄は、経営の自由が完全に奪われていますね。

ウクライナとガザ

ウクライナを侵略し続けているロシアに対するトランプ大統領の態度が、ほぼ180度変わりました。ウクライナはロシアに奪われた領土は全て奪還できるとまで表明したという。驚くべき変貌ぶりですが、喜ばしいかぎりです。

しかし一方、ガザを破壊し続けているイスラエルに対しては、トランプ大統領は批判するどころか、完全に一体化してガザを破壊し尽すイスラエルに手を貸しています。イスラエルは、ガザからパレスチナ人を全て追い出して、ガザを完全に自国領土とする意思を露骨に示しつつ容赦のないガザ破壊を続けています。

イスラエルによって支援物資の搬入が全て禁止されて餓死者が出る中、イスラエルは国連によるガザへの食糧支援は禁じる一方、アメリカの慈善(偽善?)団体による食糧配布を実施。しかし配布場所は非常に少なく、いやでも各配布場所には大勢の人が殺到するような状況が生まれました。イスラエルは、自ら設定したそのシチュエーションを100%利用して、食料を求めて殺到した、飢えに苦しむ人々めがけて空爆を浴びせました。

ここまでやるか!悪魔の所業だとしか表現できません。ここまで残忍きわまりない攻撃手法は他に例はないはずです。しかしイスラエルは、その後も似たような戦法を駆使しています。

民間人は殺害しないという見せかけの「配慮」で、ガザの人々に避難するよう誘導しましたが、イスラエルは、大勢の人々が列をなして避難しているその列目がけて空爆を繰り返しました。

イスラエルはガザで、「人道支援」風のエサで大勢の人々をおびき寄せて、一気に大量殺戮を繰り返しています。非戦闘員に対して、これほど残虐非道な戦法を駆使した攻撃は、古今東西いかなる戦史にも記録はないはずです。

仲介役のカタールで、ハマスを含む関係国が停戦に向けて話し合いをしていたその現場目がけても、イスラエルは空爆を浴びせました。イスラエルはハマスの幹部がいたとの主張で、その殺戮を正当化しています。当然のことながら、イスラエルには停戦の意思のないことは明白です。

イスラエルとパレスチナ問題の解決は、2国家共存以外には解決の方法がないことは自明の理ですが、イスラエルはそれを拒否しています。アメリカもトランプ大統領以前まではこの案を支持していましたが、イスラエルと完全に一体化したトランプ大統領は、この案には反対、ガザからパレスチナ人を一掃する方針を明らかにしています。

トランプ大統領は、パレスチナ人を追い出した後、ガザをリゾート地にするとの、いかにも元不動産王らしい提案をしてますが、故郷を追われたパレスチナ人にとっては、史上最悪の悲劇であり、残虐きわまりない構想です。

最近ネタニヤフ首相は、聖書の時代にまで遡ってガザの支配の正当性を主張し始めていますが、聖書の記述の歴史的根拠の有無は別にしても、古い時代に遡って領土確定のやり直しを要求し出したら、今の世界地図は大幅に書き換えを余儀なくされます。それどころか、世界地図そのものの作成が不可能になってしまいます。世界地図が作成できない事態とは、国境をめぐる紛争が世界中で勃発し、世界中が戦場になることを意味しています。

幸い、現在の世界は戦場にはなっていません。ロシアとイスラエルを除いては、直近の歴史的過程、第二次世界大戦とそれに付随する紛争や交渉において確定した国境線を、各国が受け入れているからです。

イスラエルは、聖書の時代に発するという2000年以上もの間、国を持たない悲劇の人々であったユダヤ人が、パレスチナの領土の一部の割譲を受けて(パレスチナ人にとっては奪われた)建国したものであることは世界周知の事実です。

イスラエルは、パレスチナ人にとっては奪われた土地に建国したわけですから、建国当時以上の領土の拡張はせずに、2国家共存を推進すべきです。しかしイスラエルは、入植手法という陰湿な手を使って絶えず領土拡張を続けてきました。これが中東地域の紛争のおおもとの一つになっているのではないですか。

しかしネタニヤフ首相は、入植どころか、露骨な領土侵略とパレスチナ人殲滅(ジェノサイド)作戦を展開しています。さほど遠くない時期に、イスラエルのこのジェノサイド作戦は完成しそうな状況にまで立ち至っています。

さすがに、一貫してイスラエル寄りの姿勢を示してきた西側諸国も、イスラエルへの批判を強めており、G7では、イギリス、フランス、カナダも初めてパレスチナ国家を承認しました。

しかし日本の石破総理は、アメリカ政府の圧力を受けてパレスチナ国家の承認はしていません。国連総会に合わせてニューヨークで開かれた、パレスチナ国家承認をめぐる国際会議にも出席しませんでした。その理由としては、岩屋外相も石破総理も、パレスチナ国家承認はするかしないかではなく、何時するかが問題だ。今はその時期ではないという論理(屁理屈)を繰り返し披露しています、

石破総理は国連総会には出席して、この屁理屈込みの演説も披露。仮に日本がパレスチナ国家を承認しても、イスラエルには何の影響も及ぼさないとは思います。アメリカが支援するかぎり、イスラエルは世界中からどれほど非難されようが、ガザ攻撃を止めないでしょう。しかし、このまま放置するならば、早晩、イスラエルによるガザでのジェノサイドは完成します。今はまさにその時ではありませんか。

日本政府によるパレスチナ国家承認は、イスラエルに対して唯一影響力を行使しうる、アメリアに対する意思表示としても多少なりとも効果はあったはず。石破総理は切迫したその今を無視して、「何時やるか」などという厚顔無恥なたわ言を世界中に披露しました。アメリカに従属した対応しかできないのであれば、せめて国連総会では演説はしないという、多少なりとも羞恥心がうかがえるような選択をすべきだったと思いますね。

やっと、Adobe Illustratorの不正な動きはなくなりました。

*またもやXでは、アイキャッチ画像の自動挿入ができなくなりました。手動で挿入しますので、画像からはサイトには遷移しません。(9/26)・・・Facebookと本ブログにこの一文を追記したところ、即、Xにアイキャッチ画像が自動挿入されて、画像からサイトに遷移できるようになりました。Xへの投稿妨害はX社によるものではなく、わたしの成りすまし工作に励む浅ましい連中の仕業であることが改めて証明されました。(9/26)

Translate »