平成とIT・AI

平成とIT・AI

2019-04-30

 

「葦の葉ブログ2nd」より転載

 

平成最後の更新になりますので、平成の30年間がどのような年であったのかを振り返ってみたいと思います。新元号を伝える西日本新聞の号外に掲載されている、平成の年表を見ていてあらためて驚くのは、ソ連崩壊の序章となったベルリンの壁崩壊は平成元年であったということです。その2年後にソ連崩壊、長らく世界の基本構造として機能してきた、米ソ対立による冷戦構造は瓦解しました。当時は資本主義の勝利だとも言われましたが、この勝利の美酒の良い心地も長くは続かず、日本も世界も混沌とした世界に突入します。

この混沌をもたらした最大の要因は、冷戦構造という明確な価値基準の基盤が崩壊したことにあります。自由主義(資本主義)対社会主義という、世界を二分する基本構造が崩壊したものの、それは必ずしも自由主義・資本主義の全面的な勝利を意味したわけではないにもかかわらず、対立軸である社会主義国が瓦解した結果、世界一強となったアメリカを震源地として、自由主義の野放図な全面展開が始まりました。世界中に無政府状態をもたらした新自由主義と呼ばれる潮流ですが、瞬く間に世界を席巻し、日本も含め、世界各国の経済や社会に破壊的な作用を及ぼしました。

日本は平成初頭にバブルがはじけ、長い経済的・社会的停滞を余儀なくされていましたので、この破壊的な新自由主義的手法は、最良の特効薬であるかのようなマスコミこぞっての喧伝もあり、さしたる反対もなく、むしろ大政翼賛会的風潮の中でこの政策が実施に移されました。平成13年(2001年)から始まった、小泉構造改革と呼ばれるものです。しかし停滞は全く解消されぬまま、結婚もできない非正規労働者の増加や地方の疲弊をもたらす結果になっただけでした。

この長い停滞の最大の原因は、政治的強制により、時代の最先端技術である日本のIT関連技術を韓国に無料で提供し続けてきた結果、日本企業が韓国と価格競争を余儀なくされたことにあります。価格競争で日本企業が韓国企業に勝つはずはなく、韓国企業が世界企業にまでのし上がる中での日本経済停滞の最大の原因になりました。経済の停滞が社会的停滞となるのは必然です。しかし、日本の停滞の真の原因であるこの重大な事実を指摘した専門家は皆無です。真の原因が分かれば正しい処方箋も出てきますが、事実が隠蔽されてきましたので、停滞脱出の方法すら見いだせぬまま長い年月が経ちました。

価格競争に勝つためには、低賃金の非正規労働者を増やしたり、製造拠点をコストの安い海外に移さざるをえませんが、日本企業はこうしたコスト低減策でかろうじて生き延びてきました。しかし先進国におけるこうしたコスト競争は、社会を疲弊させるばかりです。そうこうしているうちに中国も技術力を高め、日本に猛追してきました。今では中国は、IT分野では日本を追い抜き、アメリカに猛追するに至っています。ここまでくると、日本の進むべき道は後進国のような単純なコスト競争ではなく、技術力を高めて価格競争を凌駕することであることは誰の目にも明らかですが、正しい処方箋を提示した専門家は皆無。

最先端技術を使った新しい産業の創出、これ以外には日本の進むべき道はないわけですが、正しい処方箋が示されぬ中、この新しい領域を切り開くための人材育成も放置されつづけてきました。安倍政権になって初めて、産業や教育分野における日本の立ち遅れを挽回する方針が示されましたが、どこまで実効性を伴うのかは不明です。しかし、歴代政権がこの遅れを無視し続けてきた中で、世界の潮流からするならば十数年遅れとはいえ、政府としてこの最重要課題解決に向けた具体的な方針を示した安倍総理の功績は、我々国民としてはあらためて記憶に刻むべきだろうと思われます。

確かに安倍政権では、閣僚不適格のみならず政治家不適格者が続出し、倒閣に至っても不思議はない体たらくですが、目下進行中の遅れ挽回策が、政権交代後も妨害を受けずに順調に進められるどうかには一抹の不安を覚えざるをえません。日本ではマスコミや官僚などによって、世界の潮流に逆行するような、日本停滞策がこの20年近くの間、延々と続けられてきたわけですが、安倍政権になってやっと、この遅れに気がついたという次第です。

ただ、気になるニュースも耳にしています。元国立国会図書館長で京大名誉教授の長尾真氏がRKBラジオで話しておられたのですが、政府はAI研究に500億円も投じたが、ほとんど成果も上がらぬまま、そのプロジェクトは終了したとのことでした。どの政権の時だったのかも年代も不明ですが、安倍政権の前は民主党政権ですので、民主党政権下ではありえないプロジェクトですし、AIというITの進化型である新しい概念を表す言葉からしても、そう古い時代のことではないと思われます。

おそらく一気に遅れを挽回しようと、資金も人材も一点集中的に投入したのだろうと思われますが、ITやAIという新技術は、人類史をIT・AI以前と以降とに完全に切断するほどの画期的な技術です。この新技術は、数学、物理、化学、生物学などの全科学分野はもとより、工業、金融業、農業、水産業、医療・介護、教育など、あらゆる産業に応用可能な、ほぼ100%の汎用性を有しています。小説や美術作品の「創作」にも挑戦するAIも登場しています。

それもそのはずです。ITとその進化型であるAIは、人間の脳の働きを数値化した新技術ですので、人間の営み全ての分野において応用可能であるのは当然すぎるわけですが、この新技術の特性を踏まえるならば、全国民がITやAIの基礎知識を身につけるべきですし、政府は全国民に対して、その学習の機会を提供すべき義務を負っています。

しかし日本では今に至るも、この人類史に大画期をもたらしたITやAIの学習は、学校教育には導入されていません。安倍政権下で初めて、義務教育でのプログラミング学習の導入が決定され、2020年令和2年からの開始が予定されていますが、これまでの経緯を考えるならば、内容の希薄化や縮小などいう妨害工作がなされぬことを切に願わずにはおられません。

全国民がこの新技術の基礎的な知識を身につけていたならば、生活のあらゆる領域において、AIを応用する動きが今以上に活発化するはずです。つまり、IT・AIを使った新産業とは、e-スポーツなどのこれまでにはなかった新業態も含むものの、基本は、農業、漁業、林業や医療・介護、工業など、既存の産業へのAIの導入による、業態そのものを変えるほどの進化形の登場を意味しています。

前号地方を駆逐するNHKでご紹介しましたPCN子どもプロコン2018 結果発表のように、プログラミングを修得したならば、小学生ですら言語(プログラミング)を使って組み立てた新製品を生み出すことが可能になります。この大会は小中生を対象にしていますが、PCNの活動には幼稚園児も参加してプログラミングを学んでいるという。おそらく園児たちは遊び感覚で楽しんでいると思われますが、PCNの活動は、知らないことを知るという学習の基本そのものが、老若男女、あらゆる人々に無上の喜びを与えるものであるという学びの本質を教えてくれています。

最先端技術のプログラミングを子どもたちに教える非営利団体PCNの活動によって、太古からつづく人類普遍の学習の本質を教えられたことにある種の皮肉を感じますが、人知れず、子どもたちに学びの場を提供してこられたPCNの存在には感動すら覚えます。政府も文科省も謙虚にかつ真摯にこのPCNの協力を仰ぎながら、プログラミング教育を通して、最先端技術の実践的な修得と学ぶことの楽しさを体験する場を、子どもたちに提供していただきたい。

前回地方を駆逐するNHKで同時にご紹介した九大起業部も、部活の一つとして発足したものでした。九大には、学内の起業を促すために大学が正規に設置した「起業部」があるそうですが、この正規の起業部に採用されるためには、専門家の審査を経なければならず、九大生といえどもこの関門を突破するのは簡単ではないという。そこで学生たちがもっと気軽に起業にチャレンジする場を設けようと、野球部やテニス部などと同じ部活として作られたのが起業部だという。これならば、特別の技術を持たない学生でも入部して、起業のノウハウやその楽しさを気軽に学ぶことができますので、全国に広がると日本はもっと元気になると思いますよ。

最近九州でも、大学と銀行がタイアップして学生の企業を促す事業がちらほら始まっていますが、このレベルになるとやはり専門家の審査が待っていますので、学内とはいえ、学生にとってはやはりハードルは高いはず。この前段の、九大に習って純粋の部活としての起業部の創部が各地の大学に広まれば、本格的な事業化も可能な、製品やサービスも誕生しやすくなるのではないか。起業の内容もAIなどの技術系だけではなく、食料品や様々なサービスや農水産分野の新商品の開発など、全産業を対象にすれば、起業部創部の機運も日本全国の大学に拡がり、地方を活気づけるきっかけにもなるはずです。

幸い日本には全都道府県に国公立大学はもとより私立大学もありますので、各地の特性に合わせた多種多様な起業を目指した、起業部が誕生する可能性は非常に高いと思います。しかし起業には強制は禁物ですので、あくまでも各大学の自主性に任せることが鉄則ですが、起業部創部に際しては、活動費が大学から支給されるという基本線は明示してもいいかと思います。文科省もこの活動を陰ながら支援するというスタンスを取るべきことは言うまでもありません。

これまで日本は、政府や各省庁・官僚が主導して企業活動の活性化や新産業の創出を先導してきましたが、500億円も投じたAI研究がめぼしい成果も上げぬまま終了(失敗)したように、今後はそうした護送船団方式による旧来の手法は通用しないと思います。政府は自治体や住民を含む地方や、企業などの自主的な活動を可能にするような、環境を整えるという役割に重点を移すべきだと思います。人材育成は、その環境整備の最重要課題ですし、教育の機会提供は、いつの時代においても国の最重要使命です。

九州派の時代性

平成の時代に入って一気に普及したIT技術、そして日本では、平成も終わりに近くなってやっと我々の前にその姿を現した、ITの進化形であるAI。この人類史を画する新技術が、新しい令和の時代には、日本の全国民がその技術の本質を理解し、自らその技術を使えるようになることを祈りつつ、平成最後の更新といたしますが、「絣ラボ」でもご紹介した、福岡市美術館のリニューアルオープン記念展についても一言触れたいと思います。

絣ラボ」に作品評を掲載しました「インカ・ショニバレCBE展」以外にも、同美術館の収蔵品がジャンルを分けてお披露目されていたのですが、時代の違いをまざまざと感じさせられる展示にも出会いましたので、平成最後の更新の最後にご紹介させていただきます。(なお、異常を来していた「絣ラボ」のtwitterrは正常化いたしました。)

収蔵品展ですので、以前にも何度も目にした作品たちも多かったのですが、新たな配置の下、新鮮な相貌を見せていました。中でも強く印象に残ったのは、時代の違いをまざまざと感じさせられた九州派展でした。地元ですのでこれまでも何度も九州派展は観ておりますが、よく見知っている画家の作品でも、これまでほとんど目にしたことのない作品も多数展示されていましたので、九州派に対するある固定概念を壊されるような驚きを感じるとともに、九州派と称される画家たちが、誰も彼も非常な才能の持ち主であったことに今さらのように気づかされました。

九州派といえば奇抜な路上パフォーマンスで有名ですが、まず作品そのものが時代を切り裂く強さと鋭さ、そして完成度の高さを有していたことをあらためて思い知らされました。そこで疑問が生まれます。なぜ集団で、これほど優秀な作品を生み出すことができたのか。日本の歴史を振り返ってみても、時代が優れた芸術作品を生み出したという例は枚挙にいとまはないとはいえ、昭和の上昇期に当たる1960年代前後に生まれた、九州派に類似した画家集団は他に例はありません。集団芸術である演劇などでは、同じ頃にいくつも劇団が生まれていますが、近代以降においては、本来は個人で創作する絵画分野での画家集団の誕生は、明治期や日本のルネッサンスと呼ばれる大正期以外には余り例はないのではないか。しかも福岡という地方発祥で、なおかつ非常に高度な水準を保っています。

福岡は青木繁や坂本繁二郎などの、日本の近代絵画の基盤を創った画家を輩出したという土地柄であるとはいえ、それだけでは説明はつかないと思います。他地域でも優れた画家は多数生まれているからです。おそらく最大の理由は、当時の福岡は、時代の活気を最も強く受けていた地域だったからではないかと思います。

59年から60年にかけて、石炭から石油へのエネルギー政策転換策を受け、炭鉱経営側は大規模な合理化を余儀なくされる中、合理化反対、首切り反対を掲げて三池大闘争が起こりました。総資本対総労働とまで称された、日本の労働運動史上、最大規模で最長の大争議でしたが、1年もの長きに渡って続いた大争議の結果は労働者側の敗北に終わり、多数の炭鉱夫が解雇されました。しかしこの大合理化、首切り後も筑豊をはじめ九州各地の炭鉱は操業をつづけ、上昇を続ける日本経済のエネルギー基地として機能していました。しかも炭鉱の熱気は意外にもかなり長く続いていたことは、炭都物語にも書かれているとおりです。

九州派の誕生とその活躍はおそらく、この大争議の発生をも含めた、エネルギ供給拠点として長い年月繁栄を享受してきた、福岡という土地特有の熱気とは無関係ではなかったはずです。九州派は、芸術といえども、時代の熱気、時代のエネルギーによって生み出されるものであるということを、如実に示してくれています。九州派は画家集団であったがゆえに、個々別々に眺めていては見えてはこない、芸術と時代との関係性を鮮明に可視化してくれているわけですが、新しい令和には、日本の活力の回復とともに、芸術分野も含めた様々な分野で新しい才能が輩出することを切に願っています。

いよいよご退位が間近に迫っています天皇皇后両陛下におかれましては、多発する自然災害も含めまして、この困難な平成の世にあって国民に深く寄り添い、励まし続けていただきましたことに、心より感謝申し上げます。

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